突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

加齢と植物

俺は56歳になったのである。少し前から部屋に植物を置くのがけっこう好きなのである。植物図鑑も数種類購入して寝る前に眺めたりもしている。男が植物に行くと次は陶芸に行き、さらには石に行ったりして、自分も無機物に近づいて行くのだろう。 植物というも…

ハロン湾と日本人バスツアー

「海の桂林」。あのハロン湾へはハノイからバスで4時間。俺は日帰りのバスツアーを申し込んだ。 世界自然遺産に登録されるハロン湾には大小3000の奇岩、島が散りばめられている。ツアーには約30人ほどが参加していた。3時間半ほどのクルーズには海鮮ベトナム…

ベトナム・ハノイ その2

「突然の旅人」を始めて3年半である。嬉しいことにユニークユーザーは1万人を超えた。最近は、偶然立ち寄られた読者の方からお褒めの言葉すらいただけるようになった。俺は読者コメントは載せない主義なので、コメントを寄せていただいた方にはここで御礼を…

ベトナム・ハノイ 、その1

俺の会社は日本のファッション情報や和食文化など、アジアの人々が興味を持ってくれる映像を中国や東南アジアのTVやネットで紹介し、国から予算を獲得したり、日本のスポンサーをつけたりする仕事をしている。だから重要なのは、アジア各国のメディアとパー…

松山の陽射しと瀬戸内の霞

瀬戸内、大島の漁港内で食った七輪で焼く海鮮バーベキューは美味かった。声がでかいバーベキュー店の親父は、あちこちのテーブルをチェックしながら「エビはそう焼くんじゃねぇよ。頭が網の真ん中だ」などと言って若い客を怖がらせていた。俺は以前、牡蠣に…

瀬戸内の残影

作家、五木寛之はかつて存在した定住所を持たない人々、「漂泊民」について何冊かで著述している。山の漂泊民はサンカ、海の漂泊民は家船(えぶね)と呼ばれていたのだそうだ。そして、家船の民の漂泊の主舞台であったのが瀬戸内海と九州西岸なのである。五木…

千葉 養老渓谷の気高き人々

千葉養老渓谷の老舗旅館「福水」の部屋から2月9日朝撮影。 関東地方に記録的な大雪が降った翌日、養老渓谷付近の雪道で車が前にも後ろにも動かなくなり、俺は苦難に満ちた一日を体験したのである。俺は2月8日土曜日から、80代も後半になる高齢の母と20代後半…

豆まき

すみません。極力顔は出さない方針なのですが今回は見て欲しくなったもので。 なぜ見て欲しくなったかと言うと、俺は何を着るよりこういうのがあっているのではないか、という驚きがあったからなのである。俺は以前、アルマーニのアウトレット店でスーツを買…

長崎 軍艦島

長崎の街は、「ランタンフェスティバル」という中華街の春節から始まったイベントの飾り付けにあふれていた。真冬なのに気温は20度、そして晴れているのに西隣の大迷惑国から飛来する物質により薄曇りに見える空なのである。東京で想像しているより迷惑度は…

墨田区鳩の街商店街

今回はスマホ写真である。ご容赦を。 まるで40年、いや50年近く前に見ていた商店街の風景なのである。ここは墨田区の東向島と向島の境目に位置する「鳩の街商店街」である。俺は中央線の荻窪の生まれ育ちであるが、隣接する阿佐ヶ谷や高円寺や西荻にはかつて…

なぜか八丈島2

俺は離島へ渡るのが嫌いではない。1972年、中学生だった俺はバカな仲間3人で三宅島を訪れて以来、高校時代は毎夏、新島、神津島へ渡っていた。当時、特に新島は治外法権のSEXアイランドとも呼ばれていた。関東周辺からそれ目当ての大量のバカ女とバカ男が東…

なぜか八丈島

正月3日の早朝7時半に羽田を立ち、8時半に八丈島に到着して軽自動車を借りたのである。ケツの手術後の痛みで遠出を控えていたが、一泊で見たことがない景色に出会えるのはどこかと考えたところ、マイルも使える八丈島になったのである。 観光地として、あら…

往復2時間の目の保養

ケツの手術から3週間近くが経過し、ようやく普通に歩けるようになってきた。紅葉の季節は過ぎ去ってしまったが、まだ近くに名残があるのではないかと思い、浮き袋型のクッションをケツの下に置きながら車を走らせた。 田園調布の銀杏並木の黄葉は終わってい…

痛くて尾籠な話

とにかく左のケツが痛いのである。久々の更新には写真はない。関連する写真があるが、そいつをアップしたら俺は変態として社会から抹殺されるだろう。 今回は相当尾籠な長話になるが、このようなことをしっかり記述しておくことにも意味があると思うのである…

魔都マニラ❸

日本の勤労者の平均年収は410万円ほどであり、ピークの1997年から60万円以上下落した。世界で8位なのだそうである。 フィリピン勤労者についてマニラに限って言えば約50万円。東南アジアの中では物価は高い。(東京の6割位) オフィス街や大型ショッピングエリ…

マニラと土建屋

写真は今回の雑文とは直接関係しない。 マニラを訪れる旅行者の一位はやはり中国人である。世界人口の四人に一人は中国人であり、香港からは1時間半の近さであるので当然である。しかし二位以下は韓国人、インド人、アメリカ人であり、日本人は五位に甘んじ…

魔都マニラ❶

マニラ滞在4日間の大半は大雨だったのである。1日目、2日目はほぼ一日中大雨、3日目は大雨後曇り、帰国の空港で晴れ出すという最悪の巡り合わせとなったのだ。大雨、それも日本では見たこともないような激雨である。しかし、俺は『これもマニラなのだ。マニ…

ホーチミン4

今日医者に行ったのである。強烈な腹痛には、やはり食中毒の判定が下った。何菌によるものなのかは5日後にわかる。ホーチミンの街中を歩いていればこういうことにはならない。やはりメコン川河口域の中州島というウイルスの巣窟を俺は甘くみていたようである…

ホーチミン3

ベトナム旅行を終えて2日経ったが、腹が痛いのである。みぞおちのあたりがが差し込むように痛い。どうやらメコンデルタの中州、トイソン島で食ったり飲んだりしたものにやられたようである。 メコン川はチベット南部を水源とし、中国雲南省〜ミャンマー〜ラ…

ホーチミン2

ホーチミン市の中心部にある巨大市場、ベンタイン市場である。野菜果物から工芸品、衣類までなんでも売っている。俺は旅先に大きな市場があれば必ず行ってみる。そしてどこでも入った途端に売り子たちが俺を目指してワーワー言いながらやってくる。一瞬にし…

ベトナム、ホーチミン市 (旧サイゴン)

とにかく巨大な虫の大群が押し寄せてくるような夥しい数のバイクなのである。 五月に行ったバリ島もそうであったが、地下鉄や路面電車がなく、所得水準が低いと街はバイクだらけとなる。俺は常にやや大袈裟にものを言う質であるが、この街のバイクの洪水には…

バリへ4

バリ島の4回目。脈絡なく並べた写真にお付き合いいただく。 [ バリの絵画は写実的である。20世紀はじめに「最後の楽園」へ移り住んだドイツ人やカナダ人芸術家がもたらした西洋絵画の影響を受けているということである。 海はどこも同じ海であり、バリの海岸…

バリへ3

再びバリの風景の断片を辿ることにする。 ウブド郊外、チュルッ村にあるワスパの家の裏側には川が流れていてみんなここで体を洗うのだ。ワスパは、シャワーなんかよりずっと気持ちがいい、と言っていた。男の時間と女の時間に別れている。女の時間には森から…

バリへ2

バリ島ウブド周辺の様子を見ていただくことにする。 アタ製品は日本でも人気である。トパティ村のこの製造&販売店には一日何度も観光バスが到着する。俺はアタを作る過程を見せてもらったが、アタの茎の太さを一本一本手で合わせて行くことから作業は始まり…

バリへ

半年ぶりの更新である。不愉快だらけの半年だったが、50も半ばとなればそういうものだろう。 俺はつかの間でも旅に出て別世界の景色を見たくなった。そんな時は都会ではない。雄大な自然でもない。まだ見たことがないバリ島に行くことにした。 連休のバリ…た…

稚内の顔

DNA分析によると、現生日本人は5千年前頃より中国大陸から渡来してきた弥生人型が支配的なのだそうである。西日本では弥生人型がより強く表れ、関東以北には縄文人型が混ざるのだという。おもに南方渡来の縄文人は、進んだ戦闘能力を持っていた弥生人にどん…

銀色の海と原野の誘惑…利尻島その2

昨日は利尻島から乗船したフェリーで予期せず中国人どもに出っくわした興奮でまともな旅の報告ができなかった。 下の写真は稚内からサロベツ原野を貫き最北の日本海沿岸に伸びる道路であり、オホーツク沿岸道路と共に北海道の道の中でも特に素晴らしい。俺は…

北の果て、ハートランド・フェリー…利尻島その1

日中関係が最悪である。俺個人にとってはどうでもいいことである。 俺は旅先で体験した無礼な中国人どもの話を何度も書いてきた。「ビールをくれ」と言ったら面倒臭そうに「水を飲むべきだ」と言いやがった西安のホテル女。ウイグル人に興味がある俺に対して…

重たい暑さと水びたしの街 〜 バンコク

二ヶ月のご無沙汰でした。 猛暑の中の台湾出張から足を延ばし、さらに暑いバンコクに行った。台北は夕方になると湿度で空気が白っぽく見えるし、バンコクの湿度は見たこともない夜の豪雨となる。俺はタクラマカン砂漠の街、トルファンで50度超を体験したが、…

Resat

奴の名はレシャット。34歳のトルコ人である。今週、奴が大森に出した地中海料理店「Resat」に呼ばれ、たっぷり奢ってもらった。トルコ料理、イタリア料理、スペイン料理が用意され、それぞれに現地で腕を磨いた専門のシェフがスタンバイする凝りようである…