突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

Resat


奴の名はレシャット。34歳のトルコ人である。今週、奴が大森に出した地中海料理店「Resat」に呼ばれ、たっぷり奢ってもらった。トルコ料理、イタリア料理、スペイン料理が用意され、それぞれに現地で腕を磨いた専門のシェフがスタンバイする凝りようである。インテリア・デザインはトルコ・カッパドキア洞窟ホテルをモチーフにしており、「ホント、カネカカッタヨ」と言っていた。料理はどれも美味くて量が多く、そして安い。はじめにイベリコぶたの生ハムを食ったが、もうそれとパンだけで腹いっぱいになるほどであり、今まで食ってきた生ハムの中で一番美味くて980円である。レシャットはイスラム教徒だから豚は食わない。
奴に会うとワインで酔っ払っていつも写真を撮り忘れる。上の写真はレシャットのHPと「ぐるなび」から拝借した。
レシャットがやっている会社は池袋にある。池袋でもレストランをやっているが本業はトルコの宝飾品、香水、民芸品を輸入販売したり、トルコ大使館やトルコ企業の日本での活動のコーディネーションをやっている。以前は銀座の三越に宝飾品の店を出していた。
3年半前、イスタンブルから成田に帰るトルコ航空で奴と隣り合わせの座席になった。飛行機がシベリアから日本海へ出たあたりで奴と目が合った。「イスタンブルは興味が尽きない街だったが、バザーで財布を盗まれて酷い目にあった。警察は最低だったが、居合わせた心優しいトルコ人が金を貸してくれた。巨体のタクシー運転手に気を許してだまされ、拉致されそうにもなった。」…「スリはたいていルーマニア人かクルド人だ。タクシーの話が一番ヤバイ。身包みはがれて真っ暗な森で撃ち殺されるようなことになりかねない。」…そんな話をしながらレシャットは何度も「本当に無事でよかったね」と言っていた。名刺交換をして「そのうち東京で飯でも食おう」などと言って別れた。俺は次の瞬間その話を忘れた。…それから半年ほどたち、奴から会社に電話があった。俺ははじめ、誰なのかもわからなかった。「クロサカサン、ヤクソクシタネ。ハヤクショクジサソッテヨ。」その後、奴とは時々飯を食いワインを飲む。トルコ大使館が俺をイスタンブルへ招待するよう動いてくれたし、俺のエコノミー航空券についてトルコ航空に裏から手を回しビジネスに変えてくれたりもしてくれた。奴は自分の国のことはもちろん、日本の社会や歴史について実によく勉強している。日本の政治がアメリカの奴隷のようであることにはいつも憤慨しているし、停滞する日本を憂いている。
奴はトルコ北部、黒海に面した景勝地、サムソン近郊で生まれ育った。小学校の授業で、19世紀にトルコの政府使節団の船が和歌山沖で沈没したとき、和歌山串本町の人々がトルコ人を救助し、介抱した史実に接し感動したと言う。高校を出て、日本人観光客が多いカッパドキアのホテルで働いているうちに、日本に行って日本女性をターゲットにしたビジネスを起こそうと決めたのだそうだ。
奴は東日本大震災の後、冷凍食材運搬車や調理機能搭載車を連ねて何度も東北へ炊き出しに行っている。今でもレストラン売り上げの5%もの金額を寄付している。
今週奴は大森駅の北口改札まで俺を迎えに来た。そして会うなり、半年以上前の食事の約束をキャンセルしたことを何度も何度も謝った。俺は最初何のことなのかわからなかった。奴は驚くほど義理人情に厚い。対する俺は薄情者である。その後、俺たちは中国人やロシア人の悪口や、アメリカ人には本当の馬鹿がいる話や、昔いかに女にもてたかなどについて、ルー大柴のような英語混じりの言葉を大声で交わしながらビールとワインを飲み続けたのだった。