突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

ねぶたの夜に

俺は滅多に風邪をひかない質であるが、こんな真夏に発熱までした記憶がない。新幹線で青森までは通常3時間ちょっとのはずだが、この日は那須塩原駅の信号故障とやらで5時間も座席のリクライニングを倒して半分眠ることができた。 祭りの熱狂の中にでも身を…

銀座・天國が奴らに荒らされている

銀座天國の「お昼天丼」を時々食いに行く。ごま油でこげ茶に揚げられた天麩羅が好きなのである。サラダ油は身体にも害である。天丼に合わせて炊いたご飯もダシが効いた味噌汁も、天國は、これぞ東京!という味なのであり、「お昼天丼」1,100円を変えないとこ…

花咲おじさん

俺の住まいのベランダを見ていただくことにしたのである。 このエリアは、左から木バラ、隣はやや日陰となるのでベゴニアとインパチェンスのプランター。右上はサフィニアの園芸種、赤とキャメルのミリオンベル。バラ以外は春から晩秋まで、8ヶ月間咲き続け…

白人がいないアメリカ

話には聞いていたが、これほどまでに日本人と日本車と日本語表記があふれる外国は他にないだろう。 グァム島の主要産業は観光であり、その収入の90%近くは日本人客による。東京から3時間半の距離にあり、ユナイテッドで行けばビジネスクラスで往復して7万は…

気がつくと夕日を撮ってしまうこの頃

最近は、個人的な旅から遠ざかっている。今、俺には必死に取り組むべきことがあり、ブログの更新頻度も落ちている。何人かはいると思いたい愛読者の方には、それほど期待していただいているわけではないとはいえ、申し訳ない思いである。前回更新以降、4月5…

ソメイヨシノと鬱病と韓国起源説!?

3月30日、千鳥が淵は満開だった。 「桜の樹の下には屍体が埋められている!」 昭和3年、梶井基次郎の有名な小説の書き出しである。俺はほとんど小説を読まない質であるが、高校生の頃、この一行に出会って強烈なインパクトを受けた覚えがある。圧倒的な…

北陸新幹線で金沢へ

東京の次は大宮で停車するが、次は長野まで止まらない。長野の次は富山であり、そして終点の金沢となる。長野を出て長いトンネルを超えると早春の北陸路の風景が一気に開けて眼が洗われる。 話題の「グランクラス」を覗いてみたが、冴えない感じの小さいハゲ…

ヒドい旅館

俺はこれまで日本旅館での体験を何度か書いてきた。最近では箱根の萬翠楼福住や湯河原の加満田などの名旅館からかんぽの宿まで、年間で7〜8回は出かけていると思うが、どこもそれぞれに客のもてなしに一生懸命であり、頭が下がる思いとなることが多い。2月に…

岩手県久慈市は厳寒だった。

岩手県久慈市は人気ドラマ「あまちゃん」の舞台である。 この岩手県北東部の港町には、東京からは東北新幹線で盛岡の二つ先の二戸駅で下車して一時間半ほどバスに揺られて山間部を降りていく。太平洋側の久慈に近づくに連れて雪は小ぶりとなるが寒さはさらに…

羽田空港にある不愉快な巨大広告

先日、沖縄から羽田に着いた時にもやはりこいつが視界に入ったとたん不愉快になった。 羽田第二ターミナルの手荷物受取エリアの壁にはこの巨大看板がいくつも掲示され壁は独占されている。手荷物受け取りエリアを通らなくても、通路からもこの看板は必ず目に…

沖縄の、怪しさ漂うモリマーリゾートホテル

那覇からroute58を40分ほど北上した読谷村にこのコンドミニアムがある。 66平米の部屋のすぐ下には人影のないビーチが広がっている。俺は、年末にほんの一時だけでも世間から離れて脱力したくなったのである。いつも休日には世間から隔絶した暮らしをしてい…

「絆」とか「つながってる」とかいう言葉について

俺は、ここ数年勢いを増す「絆」とか「つながっている」などの言葉に強い違和感を覚えていた。いや、正確に言うと、そうした言葉を嬉々として繁殖させ、絆やつながりが希薄な人を追い込んでいることがわからない奴ら、メディアの薄っぺらさに腹が立っている…

近場の紅葉

年々紅葉が好きになる。何故なのだろう。紅葉を愛でながら写真を撮っている多くは高齢者である。俺も仲間入りしつつあるのだろう。紅葉狩りという習慣は万葉集の時代にすでに記述されているという。広葉樹の種類の多さで稀有である日本列島ではたぶん縄文時…

高倉健が亡くなってしまった。

渥美清が亡くなった時と同じくらいの落胆なのである。(写真はyahoo画像より拝借) 俺はかつて映画をよく観ていたが特に日本映画をたくさん観ていたわけではない。しかし、小中学生の頃はテレビで日本映画をよくやっていてかなり観ていたと思う。昭和40年代…

50、60男はカメラと紅葉好き

スマホカメラに圧されてデジカメ業界の不振が続いている。小型軽量高品質を謳ったミラーレス一眼も欧米や中国では売れていないようである。一方、国内での購入者については50代60代は伸びている。業界団体の調べでは昨年の全購入者の半数以上は50代60代であ…

スポーツクラブは好きではない

俺はこの夏、田園都市線某駅近くのスポーツクラブに入会したのである。3年前にも入ったがすぐやめた。辛抱強くエアロバイクを続けたり、苦しみながらマシンに取り組んだりするのがとにかく苦痛だったのである。・・しかし、長年の不摂生と運動不足により筋肉…

仙台 秋保温泉

仕事で仙台を訪れた。タクシー運ちゃんによると一時の復興景気はすっかり収まってしまったのだという。一時は全国からキャバ嬢が集まってきて工事関係者相手に稼ぎまくっていたが、もうすっかりいなくなったのだという。俺は、キャバ嬢というのは全国を渡り…

奈良ホテル

鎌倉鶴岡八幡宮のご招待により、かつては関西の迎賓館の役割を果たしていた「奈良ホテル」に宿泊したのである。本館は明治42年建造というから105年前、辰野金吾という東京駅なども手掛けた名建築家の設計による。桃山御殿風檜造りと言うのだそうだ。 俺は、…

東大寺へ行く

10月9日19時過ぎから奈良東大寺大仏殿では鎌倉鶴岡八幡宮との合同による「東日本大震災物故者慰霊と被災地復興への祈り」が行われた。 仏教と神道という違いを超えての祈りは奈良鎌倉交互に行われて来て今回が5回目になる。東北が復興したと言えるまで続けて…

箱根湯本 萬翠楼福住

印象深い旅館だった。1625年創業の萬翠楼福住は箱根の旅館第一号。現在の建物は明治12年(1879年)のものと聞いた。 [ 重要文化財である。 書は伊藤博文による。 この15号室には西郷隆盛、福沢諭吉、木戸孝充、井上肇も訪れたという。 俺が母と娘とともに宿泊…

安曇野のインテリタクシー

信州・松本での仕事を終えて、北アルプス山麓の水の里、安曇野を訪れた。 つい先日、白壁と石の建物群に完全な太陽が反射して深い陰影を形作るスペイン・アンダルシア地方の磁場に体内成分の一部を入れ替えられた俺であるが、今度は日本の原風景のような安曇…

バルセロナ〜グラナダ その6

バルセロナ中心部。いくつか写真をアップする。 バルセロナの有名店コルドベス。この姉さんの顔は怖かった。微かな笑顔はこの一瞬だけである。この 目にはロマ族の数千年の悲しみと怒りが宿っている。怖い顔見たさに二晩通った。一日目は最前列となり、怖く…

バルセロナ〜グラナダ その5 「無為の街グラナダ」

アルハンブラ宮殿を2時前に出て、グラナダ市街へ向かった。タクシーで10分である。 [ 街の中心、ヌエバ広場周辺である。 グラナダでは完全な太陽が地上を支配している。日差しを受ければもちろん、日陰にいても建物の中にいても、太陽の存在を忘れることはな…

バルセロナ〜グラナダ その4 アンダルシアとアルハンブラ宮殿

バルセロナ空港を早朝7時半に出たブエリング航空機が9時前にグラナダに着陸する直前の景色である。朝6時前にバルセロナ空港に着いたのだが、格安航空ブエリングのカウンターはごった返しており危うく乗り遅れるところだった。往復2万円ちょっとで運んでくれ…

バルセロナ〜グラナダ その3 ガウディとダリ

1882年に着工されたサグラダファミリアは2026年の完成をめざしているという。 外尾悦郎という日本人が主任彫刻家なのだ。 始めてこれが視界に飛び込んできた時、意外と小さいのだな、と感じてしまった。こういう感じ方はやや残念なことである。たぶん、サグ…

バルセロナ〜グラナダ その2 旧市街と栄光の残影

バルセロナ空港からホテルに到着したのは朝10時頃だった。 ホテルヌーヴェルは街の中心、カタルーニャ広場からすぐの路地裏にある。三つ星クラス、19世紀の建物である。浅黒いアラブ顔のフロント女に「早いがチェックインできないの?」ときくと、とんで…

バルセロナ〜グラナダ その1 デブ白人の隣となった帰途のエコノミーで

スペイン・バルセロナ空港を飛び立った。まずシンガポールまで12時間以上、3時間くらい乗り継ぎ待ちで、さらに羽田までは7時間である。つまり直行便が飛んでないスペインには丸一日かかって往き来するわけである。 俺が乗るのは当然エコノミーであり、歳を食…

虎ノ門ヒルズの竹林

仕事で立ち寄ったのだが、またしてもつまらない高層ビルが建っていた。幹線道路がビルの地下を通るという新工法は凄いのだろうが、東京にはどうしてここまで面白味がないものが建ち続けるのだろう。例えばお決まりの竹の植え込み。金属やガラスとのコントラ…

田園都市線の真相

俺は東京・荻窪の生まれ育ちであるが、もう30年も田園都市線沿線に住んでいる。 鷺沼の桜並木は隣駅のたまプラーザまで続いている。この様な眺めが沿線を象徴しているのだろう。 俺はつい最近までこの沿線が好きではなかった。朝夕の電車の地獄のような混雑…

金沢、昭和40年代の食堂

俺は仕事で定期的に金沢、松本、大垣に行くことになった。 金沢兼六園の茶屋通りで見つけた食堂のディスプレーにしばらく見入っていた。カツ丼、カレー、焼き飯、天ぷらそば、ざる蕎麦、エビフライ...。これは昭和40年代前半の大衆食堂の定番メニューに近い…