突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

金沢、昭和40年代の食堂

俺は仕事で定期的に金沢、松本、大垣に行くことになった。


金沢兼六園の茶屋通りで見つけた食堂のディスプレーにしばらく見入っていた。カツ丼、カレー、焼き飯、天ぷらそば、ざる蕎麦、エビフライ...。これは昭和40年代前半の大衆食堂の定番メニューに近い。カツ丼にはグリーンピースも乗っている。これに、とんかつとラーメンが加わり、瓶ビールが置かれているとなお良い。俺が生まれ育った東京・荻窪の寿通りには、ガキの頃「正宗食堂」という店があって、こんな感じだった。大衆食堂にはテレビが置かれていてプロ野球をやっていた。あの頃、東京に溢れていた工事関係の客がビールをあけ煙草を吸いながら長島や金田や王について論じ合っていた。小学生だった俺は正宗食堂に入ってみたかったが入ることはできなかった。


金沢の中心部に残された異界「ひがし茶屋街」。今でも一見さんお断りの楼内には「別の時代」が存在する。三味の婆さんはとにかくとして、芸妓は意外なことにみんな20代であり、東京で数年前まで普通に会社勤めをしていたという娘もいた。芸妓になりたかったのだという。
ちなみに、俺はお座敷遊びを個人で行っているわけではないことは言うまでもない。

看板の涼香さんも3年前まで東京のOLだった。俺の娘と同い年と聞くと何か気分がもやもやした。我を忘れて酒を飲んでいる時、トイレに立って鏡を見た時に真顔に戻らされるのと似ているかもしれない。