突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

田園都市線の真相

俺は東京・荻窪の生まれ育ちであるが、もう30年も田園都市線沿線に住んでいる。

鷺沼の桜並木は隣駅のたまプラーザまで続いている。この様な眺めが沿線を象徴しているのだろう。

俺はつい最近までこの沿線が好きではなかった。朝夕の電車の地獄のような混雑や遅れもあるが、それより、街並みに常に違和感を覚えていた。住宅街も道路も東急ストアを中心とする商店街も、「さあ、ここは緑地ですよ」みたいに点在する公園も、全て計画的に出来上がり、人間的な温もりや喜怒哀楽の表情に乏しいところが好きになれない要因であった。大資本の壮大な企みの中に生活ごと組み込まれてしまった様な息苦しさがつきまとうのである。
俺が生まれ育った荻窪や阿佐ヶ谷や吉祥寺の街には、いろいろな個人の夢や願望や挫折や失敗が溢れていた。ほとんど無計画に出来上がり、閑静な住宅エリアもあるが小汚い飲屋街もあり、ラーメン屋の質は高く、金物屋とか乾物屋とかどうやって食っているのかわからない様な商店街も存在する。裏側には厚化粧の年増ホステスが憮然とゴミ出しに出てくる様な歓楽街があり、エロ映画館やピンクやムラサキの湿ったホテル周辺にはパンチパーマのヤーさん風が眼を飛ばしていた。街全体が数えきれない人間ドラマの舞台であり、従って人々には明暗の表情があった。

田園都市線沿線を歩く人々、特に男の表情が良くない。良くないというか、表情そのものが薄い。平日は面白くもない会社勤めの往復であり、土日は女房に管理されきって、夕方には東急フレルとかいうスーパーの買い物に付き合わされる。スーパードライを飲みたいのに金麦にさせられてしまう。もともと田園都市線住まいは女房が決めたことであり住宅ローンは月15万を超える。家計は女房が握っていて小遣いは月5〜6万。子供の学校は女房が決め私立だから月謝は高い。これでは初対面の人と酒を飲んで雑談したり、本屋で「137億年の物語」を買ったりもできそうにない。どんどんバカになって行き、さらに去勢は進んでいく。街には荻窪や吉祥寺の様な感性を刺激するものは何もないので、何時の間にか日々に慣らされていく。そんな日々を「中の上」などと無理やり納得して、そうとは知らず全ての企みにはまったまま歳をとっていくのだろう。そんな男が溢れている田園都市線。しかし彼らは残念なことに結局会社や女房から敬われることはないのである。

たまプラーザ周辺の「美しが丘」には1970年代から形成されて行った高級住宅地が広がっている。「美しが丘」という名前はいただけない。自分のことを「私は美人です」と言う人はまともではない。他にも田園都市線沿線には「みすずが丘」とか「森の台」とか「さつきが丘」とか、不愉快な地名が多い。
「美しが丘」には2億円以上の家が連なっている。中には、もともと都心部に戦後のどさくさで手に入れた土地があり、八百屋をやっていたが再開発で超高値がつき、バブル期に移り住んで豪邸を建てた様なケースもあるだろう。いや、この辺りはかなりそんな成金が多いはずである。成金は前歴を偽ったりして「新宿でスーパーを経営してたんですがもう面倒臭くなってしまいまして・・・」などとほざきながら上流ズラをしているのかもしれない。
そんなわけで、俺は田園都市線沿線が好きではなかった。しかしである。最近やや感じ方が変わった様な気がするのである。喜怒哀楽に溢れた街は確かに好きだが、もう暮らすのは面倒臭い。刺激のない表情に乏しくも便利ではあるところに起伏のない気分で暮らす。そして周辺エリアに「俺は本来はこんなところに居たくはないんだぞ」という、一種の優越感の目を向けながら、荻窪や吉祥寺を語りながら生きていく心地よさ。
俺はひねくれ者なのだろうか。

全く本文とは無関係であるが、最近、非常に嬉しいことがあった。自慢話をさせてもらう。聞きたくないだろうが聞いてほしい。「突然の旅人」がある映画監督に褒められたのである。( ゚∀゚) その人は、若い頃は出版をやっていた人であり、文章にはうるさいのである。また、浮かれた映画を作る人ではなく、俺など足元にも及ばない「洞察者・思索者」なのである。今回の雑文はそれに力を得て書かせていただいた。ウヒョヒョ。