突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

バルセロナ〜グラナダ その2 旧市街と栄光の残影

バルセロナ空港からホテルに到着したのは朝10時頃だった。



ホテルヌーヴェルは街の中心、カタルーニャ広場からすぐの路地裏にある。三つ星クラス、19世紀の建物である。浅黒いアラブ顔のフロント女に「早いがチェックインできないの?」ときくと、とんでもないという顔になった。この女は4泊の間ずっと無愛想であり、「ちょっといい?」と声をかけると顔も上げずに「今忙しいから待って」などという悪態であった。これが中国なら怒鳴りつけるところであるが、俺は特にアラブ顔に弱いのである。しかし、その後、追加料金なしで、なぜか俺の部屋をテラス付きでタバコも吸える最上階の良い部屋にしてくれた。礼を言うと、ニコッと笑った。誰に対しても分け隔てなく無愛想を貫き客をビビらせていた女の笑顔を見たのはこの一瞬だけであった。夜になるとフロントは極端に愛想の良いパックン似の若者に替わった。奴は来年ホテル組合の研修で東京とマニラと台北に行くのを楽しみにしていた。マニラでは撃ち殺されないようにしたほうがいい、と言うと驚いていた。


俺はとりあえずランブラス通りに出てスタバに入った。スタバではファーストネームをきかれる。「オサム。」「オサマ・ビンラディンじゃないよ。」と言うと、店員も周囲の客も一瞬固まり、俺の顔を確認すると呆れた笑いとなった。。俺はあまりの反応に驚いた。「ジャスタキディング」と言ってしのいだが、ビンラディン言ってはいけない冗談なのだろう。


バルセロナの街は、カタルーニャ広場から南側へ港にかけて広がる旧市街と、19世紀以降に拓かれた新市街に大別される。旧市街は、王宮やカテドラルを中心に13〜14世紀に建設された街並みがそのまま残る「ゴシックエリア」を核に、観光客で常にごった返しているランブラス通りをメインストリートとして広がっている。
まだ昼前のゴシックエリアは人影もまばらでひっそりとしていた。バルセロナを都とするカタルーニャ公国は10世紀に成立し16世紀にスペイン帝国に組み込まれた後も独自の憲法と政治的特権を維持し続けたのだそうである。今でも、スペイン語とは別のカタルーニャ語公用語として認められている。カタルーニャ公国は一時は地中海中央部のサルデーニャ島シチリア島にまで版図を広げ繁栄を極めたという。
下写真右奥に階段がある。149?年、コロンブスが「新大陸発見」をイザベル女王に奏上するために登った王宮の階段である。この後、中南米先住民は巨大な災禍を被ることとなりマヤ文明やインカ文明は滅ぼされ、今に至る白人中心のスペイン語諸国が中南米に成立していった。この暗い階段が持つ人類史跡としての意義の大きさは計り知れない。

バルセロナは外食費がかさむ街である。こんなまずいものを食っても2500円は取られてしまう。マクドナルドでビッグマックセットを食うと1000円、広い歩道に作られたテラスで名物のパエリアとビールを頼むと4000円くらいにもなる。滞在中にうまいものは何もなかった。ホテルやタクシー料金は東京並み。タクシーはトヨタプリウスが多くスズキも健闘していた。


このバスは、バルセロナの観光名所をくまなく回り続けている。1周2時間で2種類のルートがある。

俺は夕方になると、このレイアール広場でビールを飲んだ。乾いた日差しが降り注ぐ日向の席をあえて選んで座り飲むビールが格別なのである。
バルセロナは明るい光に満ちた街だった。メインストリートはプラタナスに覆われていて、新緑のような淡い緑が浮き立つような明るさをもたらしていた。しかし、レイアール広場で俺は無銭飲食で店から逃げていく若者と追いかける店員の光景を2回見た。路地裏では虚ろな眼をした若い物乞いが犬と一緒に額を地面にすりつけていた。通りのベンチに座っていると小銭をせびりに中年男がやってきた。50%に迫る若年失業率。楽しげに街にあふれる人々はほとんどが外国からの観光客である。バルセロナの多くの若者たちはどこで何をしているのだろう。大した製造業はなく、未来を展望できずにEUのお荷物国、世界経済危機の震源国と化したスペイン。コロンブスの「新大陸発見」から500年である。