突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

バルセロナ〜グラナダ その1 デブ白人の隣となった帰途のエコノミーで



スペイン・バルセロナ空港を飛び立った。まずシンガポールまで12時間以上、3時間くらい乗り継ぎ待ちで、さらに羽田までは7時間である。つまり直行便が飛んでないスペインには丸一日かかって往き来するわけである。
俺が乗るのは当然エコノミーであり、歳を食ってきたせいでそれだけでつらいのであるが、いま俺はかなりがっかりしている。行きもそうだったが、隣に白人のデブ男が座ったのである。俺は長時間フライトではやはり通路側に座る。奴は窓側席との間の席である。そしてもう肘掛けを独占しているばかりか肘そのものが俺の領域を侵犯し、夥しい毛におおわれた腕が俺の腕に密着する。気持ち悪い。まさかエボラ出血熱とかじゃねえよな。
行きはもっとひどいデブだった。183cm130kg67歳位の善良そうではある白人男で盛んに飲み食いしながら女房にスペイン語でしゃへり続けていた。12時間の間、俺は耳栓をし、アイマスクをして耐え抜いた。
暇だとつい無駄話が長くなる。

俺はついにスペインを訪れたのだ。スペインはもともと文化的に異なるたくさんの小さな国が分立していたわけなので、イタリア同様、国の名をあげて「行ってきました」というのにはやや違和感が残る。今回俺は、カタルーニャ地方のバルセロナを中心にアンダルシア地方のグラナダにも飛び、なななんと子供の頃夢にまで見たアルハンブラ宮殿にも行ってしまったのである。
スペインに惹かれるのは、やはりヨーロッパの中での際立った特異性だろう。8世紀から600年近く、一部は800年近くにわたりイスラム勢力に支配され、再びキリスト教世界が国土を完全に奪還したのは1492年、コロンブスアメリカを「発見」した年と言われている。その最後のイスラム王朝グラナダであり、アルハンブラ宮殿は7人ものグラナダ王が作り上げたイスラム芸術の最高峰というわけである。
敢えて短く言ってしまえば、キリスト教文明とアラブイスラム文明が交差し続けたところに生まれた、スペインという独自の輝きと深い陰影、そこに我々は心惹かれるのだろう。
そろそろ「そんなことわかってるよ。ごたくを並べんな。」
という声が聞こえてきそうである。
これから何回かに分けて、スペイン編を書かせていただく。今回は、総論というわけである。

おしまいに、低次元の各論を少しだけ。バルセロナにはやはり中国人と韓国人観光客が目立っていた。やはりここでも奴等は目を覆いたくなる状態であった。オープンデッキバスでは「危ないから立ち上がるな」とアナウンスしているのに若い韓国人カップルどもはガウディの建造物が見えてきたりすると、立ち上がってはしゃぎ一番よい背景を独占してシャッターを押し続ける。他の客の視界は遮られる。俺が強く思ったのは、奴等は声もでかくやけに堂々としてきたな、ということである。バルセロナのあちこちで、白人のカップルがやりそうないろいろな振る舞いを、よせばいいのに平気でやってのけ、景観をぶち壊していた。
中国人はもちろん多い。日本人観光客はここでも少なかった。
俺は、バルセロナの「エルコルドレス」という有名なタブラオに二晩通い、フラメンコの深さ、激しさ、妖しさに魅せられていた。ステージはおよそ1時間で最後の5分だけ写真撮影が許される。
二晩めにそれは起きた。運悪く俺の前の席一帯に中国人男の一団7〜8人がやって来たのである。なぜ全員50位の男なのか。少しは女も混ぜてやってこいや。奴等は、写真は最後だと言われているのに、はじめからカメラを取りだし落ち着かない。客全員に等しく配られるワインのカクテルに文句を言いコーラやジュースに替えさせているのも奴らだけである。そして、俺は大体予想していたがその通りになったのである。最後の5分になるや否や、奴等は立ち上がって席を離れて写真を撮りまくり、俺の視界は完全に奴らの背中に遮られることとなった。そんなことをしているのは当然奴らだけであり、みんな自分の席で感動の拍手を贈っているのだ。俺は肩を叩いて注意したが、奴等はそんなことには怯まない。そして俺は今回一歩進んだ対応に出たのである。中国人独特の直毛短髪の後頭部を一発張ってやったのである。振り返ったピーナッツ顏の男はビックリして固まっていた。ざまあみろ。日本人をなめんじゃねーぞ。
と言うわけで次回からバルセロナグラナダの各論に入っていきます。

シンガポール航空機はカスピ海を横断しアフガニスタン上空を通過しようとしているが大丈夫なのだろうか。