突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

バルセロナ〜グラナダ その3 ガウディとダリ

1882年に着工されたサグラダファミリアは2026年の完成をめざしているという。


外尾悦郎という日本人が主任彫刻家なのだ。

始めてこれが視界に飛び込んできた時、意外と小さいのだな、と感じてしまった。こういう感じ方はやや残念なことである。たぶん、サグラダファミリアは「モンスターのごとくドエライもの」という想像が膨らみ過ぎていたのだろう。


内部は、伝統的な大聖堂内部のイメージとはかけ離れた、どこかモダンな、拍子抜けするほどあっさりとした空間に感じた。床の材質は、今後取り替えられるのであろうが、合成樹脂だった。これはいただけない。早く大理石にすべきだろう。なぜ、ここまでゆっくりとした工事になっているのか、なぜすぐに大理石でないのか、これは財政事情によるもののようである。

サグラダファミリアには、日本人ツアーに参加した。並ばずにすむからである。このおじさんはガイドである。彼は10年に一回くらいしか日本には帰らないと言う。若い頃からスペインの文化に惹かれていて、やがてスペイン人の女性と結婚してそのまま住み着いたのだそうである。気候はよいし、人間もいいですよ、と言っていた。
カッコをつけて言うわけではないが、俺はやはりツアーの団体行動が極めて苦手なのである。点呼で名前を呼ばれるのを待ったり、歩調を合わせて歩いたり、バスの席決めで気を遣ったり、シャッター押しましょうか?と言われたり、次へ向かう集合時間を決められたり・・・そんな全てが苦痛なのである。今回のツアーは13時に解散の4時間ツアーであったが、途中一人旅の若者がバス集合に大きく遅刻して全員を待たせてしまった。奴がニヤニヤしながら詫びの一言なく席に座った時は怒鳴りつけたい気分だった。

バルセロナのガウディ作品群をいくつか訪ねてみた。上は、グエル邸の屋上である。ガウディの支援者、グエル伯爵から依頼を受けて1890年に完成させた。

グエル邸内部はアルハンブラ宮殿に影響を受けているらしい。
下はカサ・バトリョ。外壁は海面のイメージ。カサ・ミラは工事中だった。


意外なところにもガウディが存在している。バルセロナの銀座通り、グラシア通りの舗道の敷石にはガウディ作品が埋め込まれている。

この街灯もガウディ。根元は砕いたタイルを塗り込めたベンチになっている。何度も座ってタバコを吸った。喫煙者には寛容な街のようであった。

夕方になるとビールを飲みに行ったレイアール広場のガス灯もガウディである。

言うまでもないが、ガウディは19世紀後半から20世紀の初頭にバルセロナを舞台に活躍した偉大な建築家である。銅板から鍋釜を作る職人の家に生まれ、子供の頃から紙で奇妙な家を作ったり、鳥の羽は飛ぶためにあると教えた教師に対して、走るためにも羽は必要だ、と反論したエピソードが残る。「奇妙な家」は想像力であり、「反論」は自然に対する観察力→写実への完全主義の芽生えを感じる話である。表現者・芸術家としての両方向への振れ幅が極端に大きかったのだろう。…晩年はサグラダファミリアに没頭し、最期は路面電車に轢かれて死亡した。浮浪者と思われて手当が遅れたのだそうだ。女性恐怖症で生涯独身であった。
ガウディが好きか、と言われれば、俺は好きでも嫌いでもない。少なくとも好きではない。たぶん、好きとか嫌いとかの対象ではないのだろう。何か、うまくは言えないが、人間が人間に対して行う表現の限界への挑戦。表現者と鑑賞者の間に湧き上がる驚きを伴う得体のしれない感情や未知の概念へ導入される期待…頭が痛くなってきた。俺にはこれ以上は無理である。


カタルーニャが生んだもう一人の奇才。天才なのか狂人なのか。サルバドール・ダリ。俺はガキの頃からなぜかダリは好きだった。ガウディが聖だとすればダリは俗であり、その俗の性質には、人間が裏側に持っている様々な破壊的、破滅的、インモラルなイメージが強烈に内包されている。俺はいい人正しい人立派な人努力を貫く人よりも腹黒く強欲で背徳的でもありながら最後は情に流されたり正義の味方になって失敗するような人が好きである。多くの人はそうではないだろうか。
話がだいぶダリから離れたようである。

ピカソ美術館は長蛇の列であったがダリ美術館はガラガラだった。受付のおじさんが帰りにダリの紙袋をサービスしてくれた。