突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

安曇野のインテリタクシー


信州・松本での仕事を終えて、北アルプス山麓の水の里、安曇野を訪れた。

つい先日、白壁と石の建物群に完全な太陽が反射して深い陰影を形作るスペイン・アンダルシア地方の磁場に体内成分の一部を入れ替えられた俺であるが、今度は日本の原風景のような安曇野のたった2時間が別の部分に沁みたのである。
もう22年も前に亡くなった親父は信州・上田の出身であり、上田の塩田平という所には、今でも集落の多くが黒坂姓のエリアがある。親父は怖かったが、寅さんのような屈託ない明るさと情け深さを持った道楽者であり、一方では理不尽や汚さへの深い怒り、また喜怒哀楽の落差が激しい人でもあり、偏屈な面も持ち合わせていた。情にもろく、正攻法で損ばかりしていたような気がする。悪どい取引先のお偉方から報酬の札束を受け取り、その場で札束でビンタを食らわして出入り禁止になった話などを嬉しそうに語っていた。政治家や役人にいかに悪党が多いか、弁護士、教師、税理士、代議士・・「し」がつく奴にはロクデモナイ奴が多いなど、俺はそういう親父の体験談を面白く聞いていた。会社勤めで上役と合わせていけるような人間ではなく、自分で小さな会社をやっていた。ガキの頃、高度成長期に建ちまくっていた公団アパートを指差し、「お前はあんな監獄みてえな所に住むような人間になるなよ」と言われたこと、俺が新聞の折込から近所にできたマクドナルドの値引き券を持って行こうとした時、「男がそんなみみっちいものを持ってちゃダメだ。そんなものを持ってるとずっとそんな人間のままだぞ。」と言われたこと、親父に言われたことのいくつかを今も時々思い出す。お袋は、東京ど真ん中、日本橋浜町の出身である。二ヶ月に一回は温泉に連れていく。
ガキの頃、親父お袋に連れられて、軽井沢や善光寺や蓼科や志賀高原などによく出かけていた俺は、信州には当然親近感を持っているのだが、安曇野は始めてであった。
安曇野北アルプス山麓のいくつかの扇状地から成っており、山からおりて来た川はいったん地中に沈み込み、別の場所から湧き出て泉を作るのである。澄みきった水でしか育たないわさびの生産で安曇野は日本一を誇る。

湧き出ているこの水は相当旨いはずであるが、飲み水ではないという看板がたっていた。


ここは東京ドーム10個分の広大なわさび田「大王農場」である。

俺は前日に乗車して名刺をもらっていた松本浅間温泉のタクシー運転手、磯田さんに連絡し、松本〜安曇野2時間周遊を9000円で頼んだのである。

磯田さんは物腰穏やかなとても親切なドライバーだった。そして、俺は安曇野の地の歴史や湧水の構造や登り斜面に向かって流れていく特殊構造の水路によって一大水田地帯が形成されていったことなどを教えてもらった。安曇野という地名は、遠く飛鳥時代に大和と対立した北九州の安曇族がこの地に逃れて拓いたことに由来するのだそうだ。俺は、飛鳥時代以降の安曇野をめぐる歴史の変転をずっと聞いていた。ずっと聞いていても鬱陶しくならない磯田運転手の語りなのである。すぎていく車窓の風景に古人の姿が重なった。
磯田さんは、自動車整備士学校を出て整備工場で働き、一時は安曇野を離れて福島・磐梯のホテルの仕事をし、その後安曇野に戻った。子供の頃からの日本史好きで、この地をめぐるいくつかのテーマについてかなり掘り下げた資料収集、研究をしているようだった。
2時間の周遊が3時間近くになり、俺は予定の「スーパーあずさ」に乗り遅れた。相手によっては「なーにやってんのよ! 1時間以上も次のあずさはねえんだぜ! 全くもう! 」などと怒ったりもするわけであるが、俺は深々と頭を下げて降車した。磯田さんは、俺が見えなくなるまで手を振っていた。
湧き水と田んぼと秋桜とわさび田の安曇野を後にして、八王子まで深い眠りに落ちていったのである。