突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

6月は小旅の季節


還暦を祝い、31歳になる娘夫婦が箱根の旅館に招いてくれた。箱根塔ノ沢温泉・環翠楼は開業400年。現在の建物は大正9年から約100年にもわたり変わらぬ姿で早川沿いに佇んでいる。伊藤博文夏目漱石を始め日本の近代史を彩る偉人たちの足跡が所々に刻まれている。

この部屋に泊めてもらった。

100年経過した木造の4階建にもかかわらずどこにもくるいはない。4階の大広間には驚くべきことに柱すらないのだ。
4年前の9月に、まだ元気だった母と娘を連れて近くの萬翠楼福住という、やはり開業400年で明治大正の偉人に愛された名旅館に来た。おばあちゃん子だった娘には、それも思い出深く、今回俺をここに連れてきてくれたのだろう。
箱根の湯本から塔ノ沢にかけての早川沿いに連なる木造文化財名旅館はどれも存在を主張しない。森の木々や渓流や、風や雨とも一体化して佇んでいる。

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6月は株主総会の月であり、あちこちに出張が多い。広島でレンタカーを借りて厳島神社に行ってみた。前の夜は広島にある会社の社長に誘ってもらい広島名物をご馳走になった。ご馳走になったのは確かなのだが、小綺麗な居酒屋風の入り口の装飾に「ウリボウ」を発見したときは激しく動揺した。俺は、羊肉、鹿肉、山羊肉、鴨肉、それに、猪が大の苦手なのである。
72歳にしては大量の白髪、黒ぶち眼鏡の奥の目が豊かに喜怒哀楽の変化を物語る社長は、猪の焼き肉から取りかかっていた。事前に部下の人から「社長がやりますから手を出さないでください」と言われていた俺は、「息を止めて食って、こりゃうまいなどとウソを言おう」と観念していた。
しかしである!ニンニクやニラやキャベツと一緒に食うとわりと食えるのである。決してうまいとは言えないが、社長には「こりゃうまいなあ。前に伊豆で食ったのは臭くてダメだったけどこりゃいけますねえ」と言っておいた。白髪社長の目には満足の笑みが浮かんでいた。「伊豆はダメよ。広島のイノシシは山ん中で寒い冬を越えてるから臭くないし味がいいのよ」と言っていた。焼肉の次は鍋となりついには締めのラーメンとなる。イノシシだしのスープは流石にケモノ臭が強く、俺は表面をコショウで埋め尽くした。白髪社長は「本当は嫌いなんじゃないの?」と言うので「そう。実は大嫌いなんですよ」と言うと何故か3人の場がさらに明るく盛り上がっていった。
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俺は観光地のお土産屋でついこういうものを買ってしまいがちなのである。


広島から1日おいて青森に行った。上は奥入瀬渓流、下は十和田ビューカントリークラブから望む八甲田山。1日目のゴルフは陸奥湾に突き出た夏泊半島の断崖に広がる夏泊カントリークラブでやった。森がない荒れ地のようなところに造られたスコットランドのようなコースには突風が吹き荒れていた。例の腹筋男は強風にやられて無茶苦茶になり105を叩いていた。ざまあみろ。
夜は大酒飲みの地元社長、専務と地場の魚介で飲み歌い、青森ワシントンホテルというクラブ合宿の女子高校生がジャージでウロウロしているしがないホテルに宿泊した。
フロントに電話してマッサージ40分コースを頼み、待っていると77歳くらいのおばさんがやってきた。こりゃ下手そうでついてねえ、と思ったのは大間違いであり、すごい腕の持ち主だった。褒めるとおばさんは、自分はこの界隈では人気がある、と言っていた。
しかしおばさんはずっとしゃべり続けていた。自分はなんと三回も結婚経験があり、1人目はロクに働かないバクチ好き、2人目は酒乱の暴力、3人目の話は覚えていない。それから、次男の嫁が家事放棄のパチンコ狂い、どの嫁も亭主を尊重せず今は女の方が悪い時代・・という話。要するにこの世の不幸という不幸を語り続け、だから自分はこんな歳でも働かなきゃならないということのようだったが、俺はマッサージの腕の良さにリラックスして返事もろくにしなかったはずである。40分コースなのに1時間近くになろうとしていた。俺は、時間過ぎてるよ、というとおばさんは「いいんだよ。あんたいい人だからサービスさ。」と言ってさらにストレッチをやってくれた。俺は60分の料金を払うと、おばさんの顔はみるみる明るくなり何度も礼を言って去って行った。
おばさんは今日もひどい目に遭い続けているのだろう。

青森の後、週末を挟んで金沢に行き信州松本へ向かう途中の長野駅。乗り継ぎの40分で蕎麦を食い金沢でもらったのどぐろ寿司を食うことにする。

そして一日おいて北陸線米原から福井に向かっている。隣の家族連れはフランス語を話している。