突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

近場の紅葉

年々紅葉が好きになる。何故なのだろう。紅葉を愛でながら写真を撮っている多くは高齢者である。俺も仲間入りしつつあるのだろう。紅葉狩りという習慣は万葉集の時代にすでに記述されているという。広葉樹の種類の多さで稀有である日本列島ではたぶん縄文時代から紅葉を愛でる文化があり、それは縄文系遺伝子優位の現代人に引き継がれているのかもしれない。(適当な話である) 自慢のつもりだが、今回の写真は一眼ではなく全てコンパクトとスマホで撮った。

春には花のアーチとなる田園都市線の鷺沼である。桜は春と秋、年に二回も眼を楽しませてくれるありがたい植物である。


田園調布周辺の紅葉は美しい。しかし、こんな季節にも田園調布というところは住人の気配が希薄である。遠くに写っているのは訪れた人々。豪邸から出て来る住人、入って行く住人を見かけない。生活の音がしない。
最近70代の資産家が40歳年下の妻と無理心中を遂げる事件があった。静まり返った豪邸の中が幸せな空間かどうかはわからないのである。3億円以上の屋敷が連なり見事な紅葉に包まれた田園調布には数多くの不幸が潜んでいる波動がある。

紅葉の盛りに京都に行けるようなことはまずあり得ない。そんな時、世田谷の九品仏浄真寺や豪徳寺を続けて訪ねるのも悪くないのである。

平日の日比谷公園に人影はまばらである。スマホで撮った。

鮮やかで豊富な色彩と背後のビル群のコントラスト。仕事の合間にふらっと踏み入れた日比谷公園で俺は独り唸っていた。

近くの銀座通りは中国人観光客どもがでかい声をあげて闊歩している。日比谷公園にはいない。ヨーロッパ人は多く、写真を撮っている。長い文革鎖国の後、急に小金を手にして東京へやって来た中国人どもに紅葉を愛でる余裕はないのだろう。

奥湯河原も紅葉の名所である。紅葉を眺めながらの露天風呂という極楽をこの秋はじめて体験できたのである。老舗旅館「加満田」の中居さんは、湯河原も中国人が増えたが夜遅くに団体でやってきて食事もせず何も観ずに早朝出発して行く、と言っていた。憎悪が宿った言い方である。


前々回に書いたように、俺は12月に入って東名高速川崎インター近くの生田緑地・日本民家園を再訪した。



メタセコイヤの森の赤褐色。もう東京周辺の紅葉も終わりが近づいた。今年の紅葉は、8月9月の日照不足のため全般的に色づきが芳しくないとのことである。それでも今年も充分楽しんだ。
俺は40代を通して何度か秋にニューヨークを訪れ、色づいたセントラルパークと摩天楼のコントラストに感動していた。何年か前の11月にパリとロンドンを訪れ、あまりの美しさに見とれながら歩いたので何度も蹴っ躓いて転びそうになった。欧米の歴史的都市の美しさにはいつも圧倒されるが、そこに足りないものがあるとすれば、それは赤や橙色の樹木の輝きかもしれない。欧米の樹木の秋は主に黄葉なのである。東京は、荘厳な歴史的建造物群の街並みという面ではヨーロッパの都市の美しさ、スケールには遠く及ばない。しかし、春から初冬にかけての樹木によるあらゆる色彩のビビッドな移り変わりという美しさでは群を抜いている。来日観光客3000万人へ向けて、アニメやハイテクや食やおもてなしに加えてアピールしたい素晴らしさではないだろうか。