突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

ベトナム・ハノイ 、その1

俺の会社は日本のファッション情報や和食文化など、アジアの人々が興味を持ってくれる映像を中国や東南アジアのTVやネットで紹介し、国から予算を獲得したり、日本のスポンサーをつけたりする仕事をしている。だから重要なのは、アジア各国のメディアとパートナー契約を結ぶことなのである。日本の大きなテレビ局も同じ様な仕事をしているが、すぐに下請けにやらせ、自分たち自身で汗をかかないので大きな金がかかったり現地コーディネーターに騙されたりしてうまく行っていない。俺は、初めて仕事の話を書いてしまったが、もう書かない。
今回はベトナムの首都、ハノイを訪れたのである。




雨季が始まる5月はじめのハノイは最高気温は30度前後、言うまでもなく蒸し暑い。最も暑いのは6月であり連日40度を超えるのだそうだ。俺は3年半前に中国西部の砂漠の盆地、トルファンで45度を体験したが、多湿の40度の厳しさはさらに堪え難いものがあるだろう。
昨年は、南部の大都市ホーチミンを訪れたのでベトナムは二度めである。タイ、マレーシア、シンガポールインドネシアと同様、年率6%を超える成長を続けるベトナム。人口の70%以上が40歳以下という若い国でもある。ハノイの街は車とバイクが溢れ、あちこちで建設工事が行われ、熱帯樹木に覆われた街には深夜までカラフルな光と若者の笑い声が絶えなかった。
東南アジアの街に共通の混沌はあるが猥雑がない。バンコクのように売春婦が目立ったり、悪臭が漂うこともない。巨大市場で客引きに追われたり、バイクタクシーや観光人力車にしつこくされることもない。ホーチミンもそうであったがハノイも雑踏に疲れることなく、心穏やかに異文化の中で匿名の時間を過ごせるのである。
心穏やかに過ごせるのは、ベトナム人の控えめで温厚で真面目な性質によるところが大きい。それと、街並みは中国風の雑多と彩色でありながらフランスの影響が残り、でかい葉っぱの樹木が作り出す日向と日陰、そして街中にいくつもの湖が点在して涼風をもたらしていることも特徴である。
俺は、旧市街やホアンキエム湖にも近い「SILK PASS HOTEL」に宿泊した。4年前にできたばかりの中型四つ星ホテルである。左の姉さんは、「クルマで2時間でこの四地点を回りたいが全部で2000円以内だ」とか「俺のスマホを使えるようにしてくれ」とか「ピザを食いたくなったので歩いて五分以内の店に電話をして待たずに食えるようにしてくれ」とか、一日に4〜5回にも及ぶ俺のリクエストをすべて笑顔で対応してくれた。また、エントランスのカフェでアイスコーヒーのグラスや皿を落として破った時に、スタッフ男は笑顔を変えずに片付けてくれ、「東京は寒いんでしょうねえ。行ってみたいなあ。」などと世間話で慰めてくれた。ベトナム人は概して感情の起伏が穏やかでフワッとした感じの人が多い印象である。俺は、金持ちではないので三ツ星か四つ星ホテルである。東南アジアでは四つ星で二部屋付きで数千円である。中規模ホテルの方がスタッフと本音の会話を楽しめるし、いろいろ便宜を図ってくれる。自慢であるが、俺はこの姉さんのおかげでツアー会社に申し込む半額以下で2回ワゴン車を押さえることができた。アンケートに絶賛を書き込むと、お礼のアイスコーヒーが運ばれて来た。
ただし、二日目から俺がフロントへ行くと、奥の管理職風のおばさんが必ず現れて立ち会うようになったのはいただけなかった。俺が客の立場を超えて「今夜飯でもどう?」などと言いかねないと思い見張っていたのだろう。

このオヤジはバイクタクシーをやっている。ホーチミン廟近くを歩いていると俺同様の酷い英語で話しかけて来た。俺は始めのうち、施設の管理をやっているオヤジが親切に案内してくれるのだな、と勘違いしてガイドをしてもらい、一柱寺という名所まで案内してもらった。仮に金目当てであっても、法外なことを言えば弱そうだから怒ればすむ、と考えてもいた。バイクタクシーとわかり次の目的地まで乗っけてもらうことにしたが、途中「刺繍絵」の工場へ立寄らされた。やっぱり、と少しは思ったが、大きな店で買うよりも安くて良いものが売られていた。オヤジはなんと俺と同い年とわかり悲しかった。「あんたは65には見えるぜ」と言うと、「貧乏で働きづめなので歳を取るのが早い」と言って笑った。

刺繍絵はベトナムの伝統工芸である。絹糸の一本一本を丁寧に縫い重ね独特の温かみと写実的な実在感のある作品が仕上げられていく。写真の工場は別の工場なのであるが、バイクオヤジに案内されたところも小規模ながら同様の作業風景であった。おれは、女の子たちに「大変な腕前だね」などと話しかけたが返事はなく振り向きもしない。バイクオヤジはその時だけ真顔になって「聴こえないんだ。戦争の後遺症なんだ。」と言った。アメリカ軍が撒き散らした枯れ葉剤により先天的に耳が聴こえなかったり手足が完全ではなかったり、そのような若者たちに刺繍絵の技能を教え込み経済的な自立サポートを国として行っているのである。

俺は60×40cmの天国のような風景画を購入した。


夜のホアンキエム湖は様々な街の明かりが映し出されて美しい。
バイクオヤジに続いてもう一人同い年、1958年生まれの男に出会った。街を一周する電気カートに乗り合わせた男は長野県出身で20歳以上は若いであろう奥さんはベトナム人である。56歳に至るまで、男にはいろいろな変転があったのだろう。奥さんは俺を食事に誘ってくれたが遠慮した。1時間のコースを俺が15分で降りようとすると、奥さんは運転手に返金の交渉をしてくれた。そのとき男は彼女を止めながら言ってくれた。「いいんだよお金は。この人は1時間でも10分でも降りたい時に降りるんだ。」