突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

長崎 軍艦島


長崎の街は、「ランタンフェスティバル」という中華街の春節から始まったイベントの飾り付けにあふれていた。真冬なのに気温は20度、そして晴れているのに西隣の大迷惑国から飛来する物質により薄曇りに見える空なのである。東京で想像しているより迷惑度ははるかに深刻なものになりつつある。

中国提灯(ランタン)に照らされた長崎の夜はきれいだった。前から思うのだが、長崎には美人が多い。紛れもないブス女を見かけることがない。

長崎港から20人乗りの小さな船に揺られて40分。端島、いわゆる軍艦島が忽然と姿を現す。

軍艦島は元々は島とは言えない岩礁だった。明治期に海底炭田が見つかり埋め立てが行われて巨大な軍艦のような島となった。その後、戦後に至るまで炭鉱の島として栄え、最盛期には5000人もの人が暮らし、全長500m足らずにアパート、商店、学校、病院、映画館やパチンコ屋まで、人が生きていくのに必要なものがほぼ全て揃った「都市」となったのである。しかし、高度成長期の後半、エネルギー需要は石油へと完全にシフトし、この島は切り捨てられることになって行った。1974年、昭和49年、全島民離島。その時からこの島は無人島となった。1960年前後には世界一の人口密度の島だった軍艦島。当時の朝日新聞の見出しをガイドさんに見せてもらったが、「軍艦島は未来の都市」と表現されていた。本当に馬鹿げた記事である。島の暮らしの現実や近未来への洞察は微塵もない。当時朝日は、北朝鮮が理想の国創りを行っているとする内容のルポすら載せていた。朝日には今でも抵抗野党のような批判記事が目立つが、きれいごとを超えた代案を示すことはない。そして過去の自己批判をきちんとすることもない。御用新聞も困ったものだが、朝日の歴史的害悪は際立っている。

軍艦島に上陸した。上陸制限時間は20分である。中央の建物は、大正期に建てられた日本最古の鉄筋コンクリートアパートと聞いた。


学校やアパートや病院などの「都市」を構成していたコンクリート建造物群は40年で朽ち果てた廃墟と化すのである。潮風と高波に晒されると風化が加速するのだろう。
俺は軍艦島が怖かった。その威容は、異界からのモンスターのようでもあり、物言わぬ無機物の巨大な廃墟でありながら、たくさんの人間の叫びが聞こえてきそうな気配に覆われていたからである。
軍艦島は朽ち果てた建物や道路や瓦礫による危険性でごく一部にしか立ち入ることはできない。また桟橋がないので少しでも海がうねると上陸もできない。
長崎県及び市は、中国の旧正月の祭りのランタンフェスティバルを中途半端な飾り付けでやるのもいいが、日本の近代化遺産である軍艦島のようなところをもっときちんと見学できるようにして観光の目玉にする方がよっぽど社会的な意義があるし、またそれが求められている時代なのではないだろうか。

長崎の歓楽街は深夜まで賑わっていた。同行の長崎人は何店もクラブに電話したが満員で断られていた。
長崎は、ちゃんぽん、ひとくち餃子、角煮マンなどうまいものが多い。クラブのホステスもうわべでなく心から会話して楽しもうとするので疲れるが楽しくもある。