突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

稚内の顔





DNA分析によると、現生日本人は5千年前頃より中国大陸から渡来してきた弥生人型が支配的なのだそうである。西日本では弥生人型がより強く表れ、関東以北には縄文人型が混ざるのだという。おもに南方渡来の縄文人は、進んだ戦闘能力を持っていた弥生人にどんどん滅ぼされ、列島の南と北に追いやられていった。東北の人には沖縄同様ソース顔が目立つ。吉幾三千昌夫には縄文人の血が流れているのである。数万年数千年前の南方、北方、大陸という渡来経路とその後の古代に起きた人種間の興亡が、現代に至るまで列島の人種的分布を決めているというのは実に興味深い。
俺は濃厚な縄文人である。先日、生物学者福岡伸一さんと会食する機会があったが、「私たち弥生系は今になってあなたみたいな縄文人の復讐を受けているんですよ」と言って笑っていた。縄文人型にはかつて弥生人に酷い目に合わされた記憶が刻まれているという冗談であるが、福岡博士のような一級の科学者は、俺のようにまるであり得ない笑い話はしないだろう。
今思うと、俺は子供の頃から意味もなく中国人が嫌いだった。縄文顏のオヤジとおふくろも中国人が嫌いだった。

以上の雑談は今回の写真とはほとんど関係がない。写真上は、稚内空港で見かけた見知らぬおばさんの顔である。どこか日本人離れしていないだろうか。次の写真は、稚内市内の人気ロシア料理店 「ペチカ」店内である。オーナーはロシア人とのハーフであるとパンフレットに書いてあった。厨房では巨体のロシアおばさんがゆったりと調理を取り仕切っていた。宗谷岬からはサハリンがはっきりと見え、稚内港からはサハリンとの国際連絡船が就航していた。日本最北の地ではロシアとの人的交流が根付いているのだ。これは道北において、稚内に限ったことではないのだろう。
下二枚は大好きな道である。まず、オホーツク沿岸道路。車は少なくこの景色が延々と続いていく。次は前々回も掲載した、稚内から日本海沿いに伸びてサロベツ原野を貫く道路。茂みから突然クマが出現するかもしれない。そういう死に方だけはしたくない。
稚内利尻島の旅について3回に渡りアップした。なぜ、この道北エリアに観光客がまばらなのだろう。飛行機のマイルをため込んでいるのにいつも予約が取れない人には特にお勧めしたい。