突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

なぜか八丈島





正月3日の早朝7時半に羽田を立ち、8時半に八丈島に到着して軽自動車を借りたのである。ケツの手術後の痛みで遠出を控えていたが、一泊で見たことがない景色に出会えるのはどこかと考えたところ、マイルも使える八丈島になったのである。
観光地として、あらゆる面で特色が曖昧であり、伊豆諸島最南端でそう近くもなく、わざわざ行ってみる理由がない八丈島はさぞかし寂しいところだろうと思っていたがその通りであった。でもそれも悪くはない。結論的には行ってみてよかったと思えるところであった。
まず、空港を出ると東京と同じように寒い。東京から(八丈も東京だが)300キロも南下したのに寒い。観光協会のサイトは亜熱帯を売りにし、かつて1960年代の昔には「日本のハワイ」という驚くべき売り文句を発信していたのにである。しかし、本土の海岸沿い地域とは風景が全く違う。島を覆う植物群がまさに亜熱帯なのだ。何人かから聞いたが、昔は毎年雪も降ったそうである。八丈の亜熱帯植物群は寒さにも強く進化したのだろうか。また、裏道の玉石垣には奄美や沖縄風を感じるし、歴史民俗資料館やふるさと村にある高床式の伝統家屋は遠く東南アジアからの影響を受けているそうである。そして何と言っても、海と山と八丈小島が織り成す景色は本当に素晴らしい。
八丈の夜は漆黒の闇が支配する。一番の集落である三根地区でも灯りはまばらであり、車で3分も走ればただただ真っ暗な中にいることに気がつく。俺は運転しながら何回か後部座席を振り返ったし、ホテルの部屋は禁煙であったのに、屋外の灰皿まで行く気になれずに部屋で空き缶を灰皿にした。この島が経てきた暗い歴史の気配を感じていたのである。
夕飯は、「あそこ寿司」という妙な名前ながら島一番の寿司屋で島寿司を食ってから海岸沿いの「ホテルリドアズーロ」に戻った。帰りのタクシーの運ちゃんは小笠原からやって来た。小笠原にいた時はマグロ船に乗っていて、かみさんは八丈島からやって来た。本土とは関係しない島と島を結ぶ人の交流というものがあるのだ。沖縄の遥か東方に浮かぶ絶海の無人島であった大東諸島には明治期に八丈島の人々が入植した。
ホテルのフロントでヒマそうにしている40歳の男に「景気はどう?」と聞いてみた。「うちは盆暮れ正月とGWで一年の多くを稼ぎます。平日はビジネスの方が結構利用してくださいます。」俺は「島に何のビジネスがあるのよ。本当はたいして来ないだろう。」と言うと、奴は少し間をおいて「そうですね。シーズンオフはお客さんは一部屋だけということもしょっちゅうです。このホテル大丈夫なのかなと思うこともありますね。うひゃひゃ。」と言っていた。奴は島の人間ではなく東京からやって来たのでやる気はない。「こんな寂しいところでよく生きていけるねぇ」と言うと「しょっちゅう東京へ行ってハメをはずしてしまいます。島にも一件キャバクラがあるんだけど競争がないので態度が悪い女ばっかりでボラれます。お客さんも行かない方がいいですよ。」と言っていた。
ホテルは「全面に広がる大海原」が売りであったが、俺の部屋だけは山側で通行人と目が合いそうなツインであった。