突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

突然ブダペストへ 5 (遺伝子分析による俺のルーツも含まれます)

ハンガリーは1867年にハプスブルグ帝国から自治権を獲得しオーストリア・ハンガリー帝国が成立した。ブダペスト左岸のペスト地区の象徴的建造物群はすべて1867年以降に、ハンガリー人(マジャール人)の威信をかけて建造された。

ペスト地区中心部の北よりにあるハンガリー国会議事堂は1904年に完成した。

その威容に驚嘆するばかりである。内部を見学できるが、日本語ツアーは15時と16時ということで時間が合わずに断念した。ここにも日本語ツアーが用意されているのである。
正面にあった「民族博物館」は実に興味深かった。
ハンガリー人のルーツは、ロシアのウラル山脈東側、中央アジア北部ステップ地帯の移動生活民族であったとされている。9世紀ごろまでにいまの東欧の地に移動してきたらしい。俺が子供のころの世界地理辞典には、ハンガリー人はアジア人であり赤子には蒙古斑が出る、などと書かれていて、そういうものを読んでは何故かワクワクする気持ちを覚えていた。蒙古斑はたまに本当に出るらしいが、今ではハンガリー人をモンゴロイドなどという説は消え去りれっきとしたコーカソイドに分類されている。今のウズベク人やカザフ人同様、遺伝子の中にわずかにモンゴロイドが含まれているということなのだろうか。








これらをどう見てもハンガリー人のルーツはやはりヨーロッパではない。はるか東方のモンゴルから続く中央アジア北部の大平原ということなのだろう。何千年という移動の過程で、モンゴルやトルコや中東、さらには中国からも文化的な影響を受け取り、ヨーロッパキリスト教文明の中に組み込まれていった様子を伺い見ることができる博物館であった。
さてっ!!
ルーツと言えば、俺はGeneLifeという遺伝子分析会社に「俺はどこから来た要素が強いのか」という調査を依頼したのである!!ほほの内側を綿棒みたいなやつで擦り、試験管みたいなのに入れて送ると1か月で結果が出たのである!!

やっぱりそうだったか。だから俺はマレーシアで現地人と思われたり、小柄で目がデカかったり、太陽に当たると赤くならずにすぐ黒くなったり、自慢だがベトナムで「ハンサム」と言われたり、沖縄に30回近くも行って安らいだり、バリ島の家具が好きだったり、パンより圧倒的にご飯が好きだったりするのだ!!
俺は東南アジアから南太平洋の島々をめぐりめぐって、たぶん沖縄経由で日本列島にたどり着いた最初の日本人集団=縄文人の系統なのだ。生物学者福岡伸一さんに「あなたは典型的な縄文人顔・・・かつて征服した我々弥生人に対して今になって復讐するタイプ・・(笑)」と言われたが、やはり彼の観察は適切だった。
俺は中国大陸や朝鮮半島からやって来たのではないのだ! あーよかったー・・。
話はブダペストから離れたが、4万年前に東南アジアで発生した「俺」はその前は何だったのだろうか。ブダペストディナークルーズでインド人テーブルとなってなぜかほっとしたことに関係はあるのだろうか・・ないだろう。
辿っていけば10万年前〜20万年前時点で世界中のだれもがアフリカ中東部に行き着くのであるが…。