突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

突然ブダペストへ 3

マリオットホテルを出るとドナウ沿いのゆったりとした遊歩道が続いている。


この路面電車は便利で街の景色も楽しめた。街を網の目のように走っているので路線図の概略を覚えればブダペスト中のどこへでも行ける。俺は初日にブダペストの電車バス1週間乗り放題のチケットを購入したが、路面電車は改札も何もなくみんなタダ乗りしているようだった。路面電車はすべておばさんが運転しているが、車をどんどん追い抜いていくほど飛ばしていた。東京の路面電車は早稲田ー三ノ輪間に残るのみだが、街なかでさっと乗ってさっと降りて歩き出せる路面電車は便利なものである。


飛ばしていると言えば、地下鉄のエスカレーターのスピードは尋常ではない。風を受けて髪の毛が持ち上げられるほど速い。乗るとき、スピードについていけず短足のため何度かマタザキのような格好になり焦ったが誰も見ていなかった。

下は、19世紀末にロンドンに続いて出来たという世界で二番目に古い地下鉄1号線である。ここにも改札はなく係員もいないからタダで乗り放題である。アンドラーシ通りというブダペストの目抜き通りの下を走っているが、通りから階段を半階ほど降りるといきなりホームとなる。これは驚きだった。地表とホーム天井の間は1mもないかもしれない。やがて崩れて大変なことになるだろう…いや100年以上崩れていないのだから大丈夫なのか…。


アンドラーシ通りは、ハンガリーが19世紀半ばにハプスブルグ帝国から自治権を得た時、ウィーンに負けない街づくりにとりかかった象徴的な通りである。直線5キロほどのプラタナスやポプラの並木道にオペラ座や有名カフェ、ブランドショップ、フランツ・リストなど音楽関係やアート、また暗黒時代の記憶を刻んだ博物館や劇場などがゆったりと連なっている。


フランツ・リストである。ブダペストの街にはハンガリー史を彩る歴史的偉人の銅像が多く設置されている。やはり、多民族がせめぎあいひしめきあい小国が分立するバルカン半島から東欧という所ならではなのだろう。


豪華を極めたオペラ座の内部見学ツアーには、ヨーロッパ言語以外に唯一日本語が採用されていてうれしかった。

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オペラ座となりの何とかいう有名カフェで牛肉のシチューとパンを食いアイスコーヒーを飲んだが、全部で1200円だった。

「ヘレンド」もジョルナイと並ぶ最高級陶器ブランドである。


下は、観光客で賑わうショッピングストリート「ヴァーチ通り」である。左奥に小さく写る青い看板の両替屋で俺はとんだ悪態を演じてしまったのである。俺は2万円をフォリントに変えたつもりだったが、1万5千円しか出していなかったのである。30歳ぐらいの男から差し出されたフォリント額を見て「ユーのレイトはツーバッドだ。キャンセルする。」と言うと男は「エヴリのエクスチェンジショップでニアーなレイトだ。キャンセルはネバーである!」・・・。俺はそれまでに旅行者が接するいろいろな場面のハンガリー人の無愛想、ネガティブな感じにやや疲れていた。「リターンザマネー!ドゥーイットアズスーンアズ!!」・・・男が声を荒げたので俺は「イートミー!!(ばかやろう)ユーはりアリーにバッドだ。クレイジーだ!!」
・・・店を後にして俺は間違いに気が付き、店に戻って謝ろうと思ったが、店は閉まっていた。俺は激しく反省した。俺はめったに反省しないが、異国の地での余りの小ささと日本人を貶めるであろう悪態に。翌朝、詫びのメモを書いて別のスタッフに託したが、事情を聴いたその女は、なんでこんなことまでわざわざするの??」という顔をしていた。旅は人からつきものを取り払い良くも悪くも純化するもののようだ。

両替屋を怒鳴りつけた後、周囲の人々は「オーひどい目にあったんだな…君が正しいんだよ…」みたいな顔で手を広げたりしていたが、ヤバい日本人もいるんだなと思ったことだろう。


ヴァーチ通りからブダペストの中心エリア「デアーク広場」を経て20分歩くと「聖イシュトヴァーン大聖堂」の威容が現れる。イシュトヴァーン1世は千年前にハンガリーを統一し王国を築いた。ハンガリーキリスト教化に貢献し聖人に列せられている。大聖堂は54年の歳月をかけて1905年に建立された。


夜8時過ぎからのクラシックコンサートに出かけてみた。

1000人ほどは入っていただろう。ソプラノもテナーもマイクなしで大聖堂を震わせていた。1時間半の半分は深い眠りに落ち覚えていない。
下は別の夜に出かけた民族舞踊+ドナウディナークルーズである。

このおやじは、舞踊の最中に何度もスマホを持ち出し、時々光線を舞台に照射したりもして周囲のひんしゅくをかっていた。持ち出す頻度が女の舞踊の時に多かったこともあり、幕間に女房にスマホを叩かれどやし付けられていた。


舞踊ショーの後はクルーズ船まで歩いて行きディナーとなる。値段からして俺は立食だろうと予測していたのだが、8人掛けのテーブル席だった。アメリカ人はアメリカ人同士、イタリア人はイタリア人同士、日本人は日本人同士同じテーブルになるようスタッフが素早くさばいていた。しかし、なぜか俺はインド人のテーブルに座らされたのである。一人旅をしていて、はた迷惑という意味からもこういう場面は避けなければならないのだが、どういうわけか、俺はインド人のテーブルでほっとしていた。なぜなのだろう。日本人カップルたちのテーブルで「すみませんねぇ、お邪魔しちゃって…」などとへりくだるのもかったるいし、陽気なアメリカ人の中で、テーブルが打ち解けて笑いあっている中に、なんでお前もしゃべらないんだ・・・などと思われて座らされるのもまっぴらだが、「インド人ならいいや」と思えるのは不思議である。予想通り、インド人はインド人同士でも他人とはうち解けず静かな食事となった。15分で食べ終えて甲板に逃走した。

ブダペスト探索はまだまだ続いていく…。