突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

突然ブダペストへ 2


これは今回滞在したマリオットホテルの部屋からの眺めである。ドナウ川と対岸の王宮...、前回も書いたが、このブダペストを象徴する眺めは、アパホテル並みの料金で手に入れることができる。しかし、何の努力なしにというわけにはいかない。チェックインの後、フロント女にあてがわれた部屋は、ネットでの説明がギリギリ嘘にならないレベルの、ドナウは右の視界に入るものの最も景色がつまらない方角を向いた部屋だったのである。俺は、ブロンドでわりと美形であるフロント女の作り笑いの中に、西洋人が東洋人をバカにするニュアンスを感じていたので警戒していたのである。こういう奴は西洋の田舎者に多い。俺はすぐに荷物運びのベルボーイに1000フォリントハンガリー通貨、だいたい400円)ものチップを渡し、「この電話からフロントと交渉して部屋を変えさせろ。ドナウは正面、王宮も正面、右に鎖橋だ。交渉したらあと1000だ。」と怒った顔を作って言った。交渉成立の時、坊主頭の22歳くらいの色白青年は嬉しそうだった。月給はたぶん6万ぐらいだろう。
部屋から出かける時、フロントの横を通ったが、女は目も合わさず知らない顔をしていた。
それから2日後の夜10時ごろ、翌日電車でウィーンに行くのにユーロを用意しておこうと思い立った俺はフロントに向かった。またその女がいた。女は「ウイーはマネーチェンジはノットトゥードゥー」と言った。俺は「マリオットは5つ星のラグジュアリーなホテルなんだろ?ノーマリーではホテルはエクスチェンジぐらいするのがオフコースだよ」女は露骨に嫌な顔をして「ホテルの2ブロックバックにスティルオープンなエクスチェンジショップがあります。そこへゴーすればいい。」女は、なんて非常識な客なの!と言いたげな手を横に広げる身振りをしていた。俺は「そんなファーなプレイスまでゴーさせるのか?」女「ファーではない。7ミニッツ。」俺は「ファーかどうかはミーがフィールすることでユーがデサイドすることじゃない。それに、2ブロックバックというテルミーハウでジャパンからカムしたツーリストがアンダスタンドするとシンクするのかい?イージーなマップでもライトしてテルしろよ!」怒りで顔を赤くし始めた女は、書くことはせずにホテルのパンフレットに載っている小さな地図に震えるペンで印をつけた。俺は「マイクロスコープがニードだ。ザッツイナッフ!」とやや声を荒げて言ってから両替屋へ向かった。
翌日からなぜかチェックアウトまでフロントにその女を見かけることはなかった。
マリオットは、部屋の眺めは最高だし、立地も抜群であり朝飯もうまかった。朝飯といえば、レストランで隣に若い韓国男女の4人がやってきた。ネックレスやらブレスレットやらをじゃらじゃらさせた、女の前でいかにも俺は慣れてるんだと言わんばかりに突っ張った声のでかい若い男は、ウエイターに何かやってもらうたびにふんぞり返って「オーサンキュー」を繰り返していた。オーサンキューしか言えんのか、このバカは…と思ったその時である。「オゲゲーップ」という何十年も聞いたことがなかった声が響いたのである。サンキュー男がでかいゲップを響かせたのである。さすがに俺はそいつの顔を見た。周りの西洋人のおばさんも見ていた。連れの女の顔が心配そうになっていた。男は、アイムソーリーと言っていた。アイムソーリーも言えるのであった。
ブダペストにも、まだ多くはないが韓国人、中国人観光客が進出している。ゲップ男のような奴が多いから東洋人はバカにされる部分もあるのだろう。
ややくだらない話になった。
ブダペスト探索の話はまた次にする。下は毎晩見ていたドナウ周辺の夜景と3回夕飯を食った1858年創業の老舗カフェ「ジェルボー」である。

上は1849年、ブダペストドナウ川に初めてかけられた有名な鎖橋のたもと。ブダペストの夜景はヨーロッパ随一と言われているそうだ。

クルーズ船は国会議事堂の正面を通過する。この世のものとは思えない…そんな言葉が浮かんでいた。


カフェ、ジェルボーは、今でもハンガリー人に愛されているハプスブルグ王妃エルジェーベトも訪れていたという。

建物の中はデザート中心。食事はテラス席となる。この鶏をいく種類ものパブリカで煮込んだ料理はうまかった。パブリカといったってピーマンの親戚だろうという認識は甘かった。ビールを2杯飲んで料理を食べてエスプレッソまで飲んで、高級店なのに2800円くらいである。爆買いの力があるというのに、なぜか例のゲップを響かせるような半島人、大陸人を見かけることはない。