突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

突然ブダペストへ 1

ハンガリーブダペストの閑散とした空港でピザを食っている。搭乗ゲート前の店には俺しかいない。さっきから店員の女二人が俺の近くでうるさくしゃぺり続けている。掃除をしている女のモップが俺の椅子に当たったりもする。

5日間滞在したが、ハンガリーの空港、ホテル、交通、レストラン・・・例外はあるが、ほとんどの人間は無愛想で感じが悪い。自分がすべて正しいかのように早口英語で捲し立てたりもする。特に女に顕著である。多くは不機嫌であり、何かの許可や確認を求めたりすると、「ノー、ノー、ノー、ノー、」とノーを重ねて謝絶する奴も多い。ネガティブな雰囲気で表情の変化に乏しい。俺だけに感じ悪くしているのではないかとも思ったが、そうではない。つまりそういう質なのであり感じ悪く接しているつもりもないのだろう。





10分ほど前の出国審査でも、女係官は俺のパスポートを何度もめくり返し、イヤな面をしながら何やらプツプツ言っていた。めくり返すのをやめないので「俺はジャパンからカムしてジャパンにリターンするだけだ!ユーはなにをミーにセイしたいんだ!」と言うとパスポートを投げ返した。咄嗟に「ばかやろう」と言ったがわからなかっただろう。
ハンガリー人は何百年にもわたり過酷な歴史に翻弄されてきた。後に詳述するが、自由を得たのはつい27年前でしかないのだ。そして旧共産主義ソ連衛星国がどこもそうであるように、いまのブダペストの平均年収は120万円ほど・・。
感じは極めて悪いが、当然、根は悪い人々ではないのだろう。なぜかそう思わせるところが不思議な人々である。
俺は、歴史的に人種や民族、文化が交ざりあって成立した土地に惹かれるところがあり、ハンガリーにはガキの頃から関心を持っていた。それと、5月の連休にANAのマイルで行けるヨーロッパはルーマニアブルガリアハンガリーしかなかったので決めたというわけだ。
ハンガリー人(自分達をマジャール人と呼ぶ)の国がこの地にできたのは9世紀のこととされている。祖先はロシアのウラル山脈の東で巨大テントの移動生活をしていた中央アジア西域の民であり、今でも赤ん坊には蒙古斑が出ることがあるそうだ。だから、東欧にありながらハンガリー人はスラブ人ではなく元は白人ではなくアジア人である。いまのハンガリー人は混血が進み、まさに西欧人に見えるが、中には、中央アジアっぽい顔やトルコ人の要素が混じっていることが見てとれ、比較的小柄で目は黒い。民族博物館で100年くらい前のハンガリー人の写真をたくさん見たが、トルコ人ウズベク人に似ており全く西洋人の姿形には見えなかった。


わずか100年でイタリア人やフランス人のような風貌に変化したということなのだろう。初日にガイドを頼んだ60歳のおっさんも「昔は金髪はいなかった」と言っていた。60歳のおっさんは、ガイド本に書いてあるようなことをいろいろ教えようとしたが、俺がほとんど知っているのでやる気をなくして無口になっていた。相手に合わせてガイドをしようという熱意がないのはいただけない。
イスタンブール経由のトルコ航空搭乗の時間となったので続きは後にする。

乗り換えのイスタンブール空港に到着し、表情豊かでガツガツしたトルコ人に出会うとほっとした気分になる。
しかし、俺は今回のブダペストの旅が不愉快だったわけではない。長年一人旅を重ねていて、現地人との人間的な会話が成り立たなかったのは初めてかもしれない。やはり東欧というところは重たいのである。簡単に心を開いてくれるところではないのである。
遥か有史以来、常に侵略と破壊と搾取と隷属のの舞台であり続けた東欧にあって、中でもハンガリーというところは、モンゴルにやられ、オスマントルコにやられ、ハプスブルグ帝国にやられ、第一次大戦では焦土と化して大幅に領地を失い、第二次大戦ではドイツにつかざるを得ず矢十字党というナチス同様の暗黒政党が発生して陰惨を極めながらそのドイツに破壊され、戦後はソ連共産党に支配され、若者が自由を求めた1956年のハンガリー動乱ソ連の戦車と機関銃に蹂躙され・・・。1000年以上の苦難のハンガリー史の中で、僅か27年前に解放されたばかりなのである。
これで、明るく気さくで陽気な人々が闊歩しているはずはないのである。



ブダペストは「ドナウの真珠」と言われるほど美しい街である。何度も息を呑むような絶景に出会うことができた。今回俺は少し贅沢をして、ドナウ川と王宮や鎖橋などが織りなす絶景を見渡せるマリオットに宿泊した。しかし、物価が東京の半分以下なのでマリオットの絶景部屋にも、最近の日本のアパホテル以下の料金で宿泊できる。アパホテルは中国人客が押しかけていい気になって値をつり上げているらしい。やはり二流は二流なのである。
これからブダペストについて何回かにわたり書いていく。

ハンガリー語で「ありがとう」は「コスゾドム」であり、俺は翻訳アプリて発音もチェックした。レストランやホテルや街の店でこれを使うと明らかに相手の表情は和むのだが、少し気になることがあった。相手が若い女の場合に、顔を赤らめて目を伏せることが多かったのである。発音が似ている別の卑猥な言葉でも言い続けていたのかもしれない。