突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

バラは植物の犬である。

バラの最盛期となった。

5月はバラをやっている人間にとって、去年の秋バラ以降の取り組みについて、バラから評価が下る季節である。俺はベランダで14鉢やっているがまともに咲いてくれたのは4鉢ほどとなった。俺は3月初めに水遣りを1回だけ怠り、また、5月初めに1週間ブダペスト旅行に出かけて、簡易自動水遣り管を20本も購入して設置して出かけたにもかかわらず、帰宅するとバラの大ブーイングが待っていた。

ベランダのフェンスに沿って3メートル以上に枝を広げたこのつるバラは、本来であれば今頃は葉が見えないほどにびっしりと赤く鮮烈な中輪花をつけているところであるが、俺の旅行が気に入らずにこの状態である。旅行から戻った時、このつるバラの葉は半分黄色くなり散り始めていた。その後毎日朝晩に大量の水を与え、2種類の活力剤を与え続けて3週間かかってようやく葉を緑に戻したのである。しかし、花はほとんどつけないし、つけても小さく不格好に咲くのみでありみんなそっぽを向いている。
バラを育てるには手がかかる。休眠期である冬場であっても、寒肥を与え、棘で手を血だらけにしながら葉っぱを落とし、土の状態を時々チェックし、剪定したり誘引したりもしなければならない。

我々のイメージにある園芸種であるバラは野生種を掛け合わせて人間が作り出した植物である。5000年位前に書かれたとされる古代メソポタミアの「ギルガメッシュ叙事詩」にはバラに関する記述があるという。バラの野生種は、例えばハマナスだがバラのようには見えない。犬もオオカミを掛け合わせて人間が作り出した動物であり1万5000年前にオオカミから分化したとも4万年前であるとも言われている。だから一部を除きバラも犬も人が世話をしない自生が難しい生き物である。そして、犬はきちんと世話をしてしつければウンコを決められたところでするし、お手とかお座りもやる。しかししつけなければやらない。可愛がらなければなつかないし噛みついたりもする。しかし、あまり甘やかしすぎると臆病でひ弱なダメな犬となる。
バラもきちんと水遣りや剪定や施肥や病気害虫予防をやれば花開くが、放っておけば花は咲かないしすぐに枯れてしまう。しかし、水を遣り過ぎると水を求める努力を怠ける根っことなり、時に腐ったりもする。咲き終わりかけたら早めに切って次を咲かさねばならないし、夏の終わりと冬には古い枝はビシビシ切り落として若い芽を出さなければならない。出さないと株全体に勢いがなくなりダメなバラとなる。
ゴルフや釣りや麻雀もそうだが、バラ園芸は人生の教訓を想起させてくれる。
俺は3年ほど前からベランダでインパチェンスやらベゴニアやらいろいろやってきたが今はすべてバラになった。バラの花は、その形状、色彩、変化の過程・・・美しさが奥深いのである。花のみならず、早春の赤紫の新芽の勢いには生命力がみなぎっているし、青葉の艶やかさは格別だし、秋バラは小さいが濃厚だし、その後の紅葉黄葉も味わい深く、冬枯れのように見えながらも春の圧倒的な開花を予感させる雰囲気がある。

京成バラ園はバラ好きの聖地である。


俺はもうすぐ58になる。誰かが言っていたが、男はある年齢に達すると植物に行き、さらに歳を食うと陶磁器・・つまり土や石に行き着いて自分も土に還っていくのだそうだ。

これは、最近行くことができた金沢で一番の料亭「銭屋」で出された器である。俺はこの太った鯛の陶器が嬉しく、両手のひらにしばらく乗せて眺めていた。同席した30代の男たちに「お前ら物の価値もわかんねえんだろうがっ」などと言いながら嫌がられていたが、70くらいの女将はうれしそうだった。しかし、まだ土や石に行くのはやめておきたい。