突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

突然の旅人

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トルファン郊外、ベゼクリク千仏洞

トルファンのメインストリート

タクラマカン砂漠を貫く道

ウルムチのモスク前

2010年8月に中国の新疆ウイグル自治区ウルムチトルファンをついに訪れた。シルクロードタクラマカン砂漠周辺エリアは子供のころから、いつか行って見たい場所、だった。カシュガル、ホータン、パミール高原などウイグル語の地名がなぜか好きだった。漢族ガイドの指図と尾行が鬱陶しかったが、出会ったウイグル人の何人かは屈託ない善意の表情を向けてくれたし、無償のもてなしに驚きを覚えることもあった。日頃、東京で犬猫以下の生き物と思える人間たちを見ている俺はそんな旅に感動し癒される。
5月にはシルクロードの東の起点、西安と蘭州を旅して、やはり中国少数民族である回族の青年たちと牛肉麺の店でビールを飲みながら「北国の春」を歌ったのが楽しかった。中国も蘭州まで来ると日本人が珍しいのである。一方、サービス業関係者の中には態度が酷い奴が多いのも中国である。西安の3星ホテルでフロント女に「ビールをくれ」と言ったら、面倒くさそうに「水を飲むべきだ」と言われたのには呆れ果てた。そんな時は旅先であっても相手にきっちりと怒声を浴びせることにしている。俺は旅に出ると喜怒哀楽の起伏が大きくなってしまうのである。
3月には釜山と慶州。市場で食いすぎた魚介類にあたってどうしても堪えきれず、路地裏のドブ川で「大」という暴挙に及んだ。通行人の何人かが驚愕しながら逃げていった。日本人はこんなことをするのか、という誤解を植え付けて反日感情を増幅させただろう。
昨年はイスタンブルに行ってバザールでサイフを盗まれ、クレジットカードと現金13万円を失った。騒ぎを聞いて出てきたお土産店主に2万円を貸してもらった。「俺が返しに来ないかもしれないとは思わないのか?」ときくと「いや、君は返しに来る」と言っていた。周囲のトルコ人たちは、カードを止めるための電話やパソコンを用意してくれたし、俺を落ち着かせるための冷たい水やタバコを持ってきてくれた。東京に帰り、顛末を知人に話すと、「そのお土産屋はグルなんじゃないの」などとひねくれる輩が多いことが残念だった。盗難をきっかけにして東京に暮らすトルコ人の友人ができた。

仕事の合間の旅だからいずれも1週間程度のショートトラベルである。国内は7月〜8月にかけ、仕事のついでに京都、奈良を2回訪れ、沖縄の渡嘉敷島に渡る機会があった。奈良の石上神宮から盆地の縁に沿って続く山の辺の道の夕暮れには「異界」に近づいたような怖さを感じた。

特に40代後半から旅好きが昂じている。尤もこの程度の旅好きは珍しくもなく、会社勤めの傍らで、もっともっとやっている人は多いだろう。
人生の残り時間というものを、ある程度具体的なものとして意識し始めるようになるのと同時に、初めて歴史を学ぼうと思いたった。俺は元々何者なのだろうか・・・。イギリス人の歴史学者が書いた世界の歴史全10巻を3ヶ月位かかって読むことから始めた。そこから、様々な歴史への興味が湧き出てきて、いろいろ読み進むに従って旅へのイマジネーションは膨らみ続けていく。
そして、数千年いや数万年の人類史が残した磁場のようなものを、その地を訪ねて直接身体で感じてみたいという思いが強くなっていく。わずか数十年の人生でありながら、数千・数万年の時間が作り上げた磁力のなるべく多くを身体の中に刻み込んだつもりになりたい。さらに、その地の今を生きる人々の息づかいにふれて、どこにも書かれていない自分だけの世界観のようなものを,安易は承知しながらも持ったつもりになりたい。…人生数十年でありながら、もっと長く大きな時間を自分に刻み込みたいという願望は多くの大人に共通のものだろう。
どのくらい続くかはわからないけれど、このブログは主に自分自身のための記録であり、また、人類史の中で砂漠の砂粒ほどの意味もないであろう自分という人間が、この時代に確かに存在した証明になってくれれば、とも思っている。言い方が大袈裟であり、たいそうなものを書けるわけでもないが、なるべく楽しく笑っていただける内容を心がけたい。途中で内容の性質は無計画に変わっていくだろう。そんな雑文が、写真を含めて、何かしら読者のお役に立つことがあれば大きな喜びである。
2010年9月 黒坂修