突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

土地の顔

最近更新頻度が増えている。これをやっていると安らぐし、ちょっと自慢になるが、おかげさまで「とつぜんの旅人」ユニークユーザー数は、もうすぐ2000人に達するのだ。(^-^)ありがとうございます。これからもお付き合いください。
今回は顔文字も飛び出したところで、去年以降の旅で出会ったいくつかの「顔」をご覧いただく。国内の旅でも当然たくさんの「顔」と出会ったが、迷惑をかける可能性もあるので、残念ではあるが、今回日本人はナシである。

俺はこれまで中国人の悪口をたくさん語ってきたが、今後も語っていく。しかし、実は多分20回近くは中国を旅している。これは西安の城壁の上で俺のハンコを作ってくれているおばさん。(ねえさんかも) 約20分の仕事は400円弱で素晴らしい出来であったが、社長のハンよりデカくなってしまったので、小心者の俺は会社では使えずにいる。

西安から西へ飛行機で1時間半、黄土高原と黄河の街、蘭州には白い帽子をかぶった回族の居住区が広がる。イスラム教徒である回族コミュニティー西安から大きくなり、西域に進むにつれ、さらに大きくなっていく。

蘭州名物 「牛肉麺」の店に入ると、店員たちがチラチラ俺の方を見て、目が合うとはにかんでいた。そして頼んでもいないのに店のにいさんが突然近くにやって来て、麺作りの曲芸を見せてくれた。中国もここまで来ると、日本人が珍しいのである。蘭州はラーメンのふるさと、餃子のふるさとは西安である。

ウルムチは蘭州から北西へ1500キロ。新疆ウイグル自治区の州都である。世界一海から遠い都市であり、この顔、ウイグル人が多くなる。これ以下、6枚の写真はウイグル人である。ほんの1年前には漢族に抑圧されてきたウイグル人による暴動があった。多くの犠牲者数は発表されなかったが、実際にはたくさんのウイグル人がいなくなったとも言われている。彼女は博物館のガイドであり、充分な日本語を話した。もちろん、日本に来たことはない。…博物館のハイライト、楼蘭遺跡で発見された3500年前のミイラ、「楼蘭美女」は白人であり、遊牧民のような服を着ていた。

ウルムチのマーケットで土産物を売る男。ウイグル人は人種的にはトルコとインドと東アジアの混血と言われ、文化的にはトルコ民族である。現在、中央アジア一帯におよそ1000万人が暮らしている。第二次大戦直後、中共が抑え込むまで、新疆自治区一帯は東トルクメニスタンとも呼ばれていた。

トルファンウルムチから南へ200キロ。タクラマカン砂漠にさしかかるオアシスである。ここから南に150キロの楼蘭遺跡周辺の砂漠でかつて中共による核実験が繰り返された。ホテルの葡萄棚の下で毎夜開かれるウイグル舞踊ショーの踊り子。右のおばさんは写真を台無しにしてしまった。

トルファン郊外の農家の主人。写真を撮っていたら家の中(暑くて雨は降らないので居間や寝室は葡萄棚の下にある)にいれてくれた。スイカとぶどうと桃をおごってくれた。

水路で洗濯をしていたトルファン少女。ウイグル人は美男美女が多い。その上、歌と踊りが好きなので日本に連れてきて芸能人にしたいくらいだが、多分ウイグル人の移動は中共により制限されている。抑圧がバレるからだ。ひとり旅の俺には鬱陶しい漢族ガイドの男が朝から寝るまで付き添おうとし、余計な口を出し、俺の自由な行動を常に制限しようとした。何度か「もう付きまとうな。俺はお前が嫌いだ。あっちへ行け。」と言って追い払ったが、尾行していた。新疆ウイグル自治区の個人旅行には国家資格を持ったガイド(監視員)とドライバーを雇わなければならない。中国の旅行社に直接頼めば、奴らを5日間抑えても車代を入れて3万もかからない。

トルファン郊外、灼熱の火焔山近くにある仏教遺跡「ベゼクリク千仏洞」で歌い続ける老人。昔は東京でもこういう顔で助平な薄笑いを浮かべる土木作業員を見かけたが最近はいなくなった。

イスタンブルグランバザールで革製品の店をやっているオヤジである。2年前に財布を盗まれた後、事情を話すと6万と言っていた革コートを1万で売ってくれた。奴はモンゴル系である。その後通路で相撲を取らされるハメになった。あちこちの店から若者が集まって来て俺は笑いものとなった。奴には今年、再会した。

イスタンブル、エジプシャンバザールで財布を盗まれた後、俺は初対面の二人に2万円を借りた。

ブルーモスク近くを歩いていたら日本語で話しかけてきた二人。左の男は名古屋でコックをしていて日本語を覚えた。サングラスは日本語を勉強中の学生である。トルコ人は本当に親日的で明るくいいヤツが多いが、悪人も多い。トルコ人に言わせると、悪人のほとんどはトルコ人ではなく、クルド人ルーマニア人とロシア人なのだそうだ。

鶴太郎とデニーロを掛け合わせたようなトルコ人。マフィア顏であるが、いいヤツなのではないか。

黒海に面した景勝地、キリオスの少女。トルコも黒海沿岸にはスラブ系の白人が多くなる。

ローマのメインストリートのひとつ、コルソ通りで昼寝をしているオヤジ。乞食ではない。こういうヤツも街の表情に味わいをもたらすのだ。

先日書いたベネチア広場のカフェ。客そっちのけで右の白シャツ男はケンカを続けていた。

トレビの泉で、俺は人に見られないようにコッソリと素早く後ろ向きにコインを投げた。