突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

吉野ヶ里と高千穂と別府の人々






  福岡で仕事をした翌日、吉野ヶ里阿蘇、高千穂を一日でめぐり、別府に宿泊した。一日で福岡県、佐賀県熊本県、宮崎県、大分県の五県を駆け抜けることができるのは、効率よく設計された北部九州の高速道路網のおかげである。
吉野ヶ里遺跡は面白かった。広大な公園に弥生時代の「クニ」が再現されている。もちろん安易に再現されているわけではなく、発掘の事実に基づいている。写真2は、支配者階級である「大人」(たいじん)の妻が自分の竪穴式住居で娘の髪をとかしているところ。夫と妻は隣り合わせの別の住居に暮らす習慣であったらしい。写真3は王を中心に支配層が集合し政の取り決めを行っているところ。
吉野ヶ里の大規模環濠集落(クニ)は紀元前4世紀から形成されていったのだそうだ。日本の歴史は大和朝廷以前が「不明」同然である。日本神話は言うに及ばず、中華思想に基ずく魏志倭人伝の記述もかなり疑ってかかるべきものと思われる。
縄文時代から卑弥呼の時代まで、我々の祖先はどこからどのように集まってきて、如何にして日本という概念が形作られていったのだろう。吉野ヶ里遺跡公園に再現された「クニ」はその途中経過をイメージさせてくれる。そして紀元前のそれは、想像を遥かに超えた「文明」であった可能性すら感じずにはいられない。
写真4は天孫降臨神話の舞台、高千穂町の夕景である。俺はこの景色に日本の原風景、あるいは自らの既視感のようなものを感じる。奈良盆地の明日香村の夕景とよく似ている。読者はいかがだろうか。俺は東京生まれの東京育ちであるが、、、、我々のdnaの一部に今だ刻まれ続けている風景なのかもしれない。

写真5は別府のうらぶれたホテル前の路地裏にあった煤けたラーメン屋である。夜遅くに別府に着いたため、呑み屋しか空いておらず、選択の余地なくこの店に入った。店内はカウンターのみで10人も座ればいっぱいになる。60位のコナキジジイ顔の小さなおやじが全てを一人で切り盛りしている。客は60前後のおっさん5人。おやじは一度に包丁を使ったり煮たり焼いたりビールを抜いたり同時にいろいろなことをしている。手足がバラバラに動いて見えるドラマーのような仕事ぶりである。当然愉快な顔はしていない。ハの字型の眉毛と小さく開いた唇と滴る汗がおやじの来し方の苦悩を物語っていた。おやじは客に感じ悪い態度を見せるわけではない。苦しい顔ながら客が金を払うと、きちっと礼を言うけじめが、当たり前のことなのに、このおやじに限ってはそれだけで立派なプロの態度を感じさせた。途中、温泉町でホステスをやりながら60になってしまった感じの、シワから化粧品の粉が取れなくなってしまった真っ赤な爪のおばさんが入ってきた。おやじはおばさんと二言三言かわし、「手伝いはいらねえ」と言うとおばさんは帰っていった。
俺はもやしラーメンと餃子とビールを頼んだが、全てが絶品であった。「うまかったです」と言うと、言われ慣れていないようで、しばらく間があってから初めての笑顔を見せた。コナキジジイ顏のおっさんが昔はよくいたものだ。なぜか最近見かけなくなった。
 その夜、俺はホテルの部屋にマッサージを呼んだ。やって来たのは身長145センチ位のおじさんだかおばさんだかよくわからない65歳くらいの、のっぺら顏の老人だった。声を聞いても男なのか女なのかわからず気持ちが悪かったが、力加減で男だとわかった。しかし、本当は女だったのかもしれない。40分間のマッサージは絶品であった。これまで上海、香港を含め、体験してきた数多くのマッサージの中でベストであった。俺は絶賛し4000円のところ5000円を支払うと言うと、そこまで喜ぶかというほど喜んでくれた。しかし一万円札を出すと千円の釣りをおいて出て行こうとしたのは頂けなかった。
 ホテルは「アーサー」という名が、それだけでヤバそうな、別府駅前の岩風呂大浴場、朝食付き1泊7000円。フロントは40代前半の口髭を生やしたクセのありそうな男が仕切っており、70近いであろう蝶ネクタイをさせられたじいさん二人が時々口髭に怒られていた。朝食を食いにいくと、別の70近いじいさんが朝っぱらからタキシードを着て、余計な愛想を振りまいて鬱陶しさを発散していた。、、、しかし、俺は口髭を含め、加齢臭男揃いのアーサーの人々が嫌いではなかった。温泉に浸かり、一部屋を占有し、立派な朝飯を食って、車まで止めて7000円しか払わない客に対して、彼らなりのやり方で一所懸命なのだ。
別府でのことを長々書いたが、何を言いたいのか。それは、日本はもはや豊かさからは遠い、ギリギリの状態にあるということである。本当の危機は、登場した別府の人々のような「地場」を支えている人々から始まっている。