突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

ありがとう吉田敬さん

吉田敬さんのお別れ会が東京プリンスホテルで行われた。良い笑顔をした大きな写真を見るのが辛かった。
吉田敬さんは10月7日に自ら人生の幕を引いてしまった。ワーナーミュージックジャパンの社長でまだ48歳だった。まさに天才的なアーティストプロモーター。平井堅ブリリアントグリーン、コブクロ絢香、スーパーフライ…全て彼が惚れ込み育て上げたアーティストだ。自らが認めた才能には並外れた情熱を注ぎ込む人だった。俺も仕事で本当に世話になった。助けてもらった。世話をしてもらってもその後彼から何かを頼まれたことはない。
決して浮いたことは言わず、自慢話や人の悪口を言うことのない、虚飾を嫌う実直な人だった。吉田さんのような不言実行の天才は音楽業界にとどまらず、今の日本人に稀有の存在ではないだろうか。
8月に赤坂で寿司を食った。顔色が悪く、落ち着かない様子が見え、珍しくある人物に怒っていた。俺は彼に心療内科を勧めた。彼はかなりの興味を示していた。いま思うと余計なことを言ったのかもしれない。
彼はゴルフが好きだった。日本庭園のような美しさを持つ千葉の鳳琳カントリークラブが特に好きだった。何年か前、95で回り、嬉しそうな顔をしていた。他に彼が嬉しそうな顔をするのは、俺が威張ったヤツやカッコをつけるやつが陥ってしまったみっともない笑い話を語る時だった。彼もそういう奴らが嫌いだった。
彼と最後に会ったのは亡くなる2週間ほど前、山下達郎コンサートの関係者打ち上げパーティー会場だった。その時も彼は落ち着かない様子で時々怒っていた。顔色はますます悪く、時々泣き言も言っていた。「また行きましょう」(飲みに)と言うので、もう22時半頃だったが、「いまから行く?」と言ってみた。彼は「いやいや…」と言った。これが彼との最後の会話だった。
昨夜、吉田さんの後見人ともいえる大プロダクション、研音の児玉元代表にお誘いいただき,六本木で献杯をあげ,吉田さんについていろいろと感慨深いお話を伺った。児玉さんは終始深い寂しさを湛えた笑みを浮かべながら「たかし」について語ってくれた。やはりあんなに情熱的な人間はいないと仰っていた。
吉田敬さん。本当に残念だ。もっとあなたのことを知りたかった。大きな仕事もしたかった。ありがとう。あの世というものがあるのなら、いつかまた会いましょう。(今回は写真はありません)