突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

突然ウズベキスタンへ ② 〜サマルカンド

「ホテルアジア・サマルカンド」は、見どころが集中する旧市街の真ん中にあり、一応四つ星ランクのようだった。


大した部屋ではないが、空調、冷蔵庫など必要なものは全て揃っていた。1泊1万円ぐらいだった。夕方になると涼しい風が吹き始め、中庭のテーブルでゆっくりビールを飲むのが気持ちよかった。サマルカンドは32度くらい、ブハラは34度くらい、タシケントは37度くらいだったが、乾燥しているので東京のジメッとした猛暑に比べればはるかに過ごしやすく汗をかくことがない。

テルマンやレストランなどのスタッフはおおむね親切であり、何かを頼むと確実に実行しようとする姿勢があった。長年ソ連共産主義体制にあったわけだが、中国はもちろん、東欧のホテルよりも遥かに客をもてなそうという表情や態度が明らかだった。夜寝る前には下写真のラウンジでビールを飲んでいたが、制服を着たスタッフも頬杖をつきながらビールをラッパ飲みしてはいた。日本ではあり得ないことだが、日本ではない。それに、こいつも「アナザーワンプリーズ」と声をかければ、スッと笑顔を向けて素早い身のこなしでおかわりのジョッキを運んできてくれる。共産体制にあってもサービス精神を失うことがなかったのは、ここは紀元前からのシルクロードの大中継地、交易地であり、それにより彼らに備わったDNAと関係があることは間違いがないような気がする。

タシケント通りはレギスタン広場から大バザールまでの約2キロを結ぶ、民芸品ショップやカフェ、レストランなどが整然と並ぶ美しいストリートであり、一般車は乗り入れできなくなっている。

[
この直径42センチの陶器大皿は30米ドル、ザクロ柄は9米ドルで購入した。ウズベキスタンの通貨は「スム」だが米ドルが流通している。そして、あらゆるショップ、バザールでは商品に値段は表示されていない。買う場合にはまず店員に値段を訊くことから始めなければならない。大皿ははじめ55ドルと言われザクロは20ドルだった。こういう所で俺は「アイラヴカッティングプライス、オーケー?」などと言いながら、言い値の半分くらいの値段を主張することにしている。そして35と9に落ち着いていく。タクシーにもメーターはなく、乗る前に行き先と希望料金を運転手に告げて交渉することになる。10分乗って5000スム=75円、15分乗って10000スム=150円。知らない人との乗り合いとなる。

全てその場の交渉で値段が決まるのはやはりシルクロード商業都市の伝統なのだろう。
こんなに大きくて美しい手描きの絵皿が二つで5,000円で買えるなんて信じられないことだ。日本では一桁違うし大体こんなものが売られているのを見たこともない。

ショップのこんなお姉さんたちとの値段交渉には、不愉快さは何もない。

俺は「シヨブバザール」という巨大市場にも出かけて、さらなる陶器や銅製品や布製品を購入した。

陶器はかなりの重量となり、帰りの大韓航空のチェックインではスーツケースが24キロで完全な重量オーバーとなった。ウズベキスタン人の女性スタッフに「トゥーヘビー?」と言うと、何も言っちゃダメという身振りをしてパスさせてくれた。


サマルカンド旧市街は、メインストリートから一歩入ればこんな街になる。おじさん達があちこちに座り込んで世間話に花を咲かせていて、通りかかると「コンニチワ」「アリガトゴザイマス」「ヤーパンですか?」「ブラックティー飲みますか」などと片言の日本語で声をかけられる。ヒマなおっさん達の好奇の眼にさらされながら、日本人の好感度はかなり高いと感じた。


ソ連時代のボロ車が今だに唸り声をあげながら走っているのは驚きだった。

裏町の住宅街ではあちこちで子供が遊んでいて、こんな眼をしながら写真を撮ってくれと言ってあちこちから近よってきてくれる。ウズベキスタンでは子供を見る大人の眼差しがとても温かく優しい。だから子供が人懐こいのだろう。



この子たちは、こんな舗装もされていない砂埃が舞うスラムみたいなところに住んで・・・というわけではない。各家は通りに面しては狭苦しそうなぼろ家に見えるのだが、扉を開けると広々とした中庭とテラスがあって、テラスの木陰には絨毯が敷き詰められた3畳くらいの小上がりが三つくらいあって、一家がお茶を飲んでいたりするのである。