突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

飛行機のくそばばあ

何に見えるだろうか。

飛行機で寝ているばあさんである。ご存知のように、人間は歳を取っていけば心が大きくなったり柔和な表情を身に着けていくとは限らない。
俺は鹿児島行きに乗り込み通路側に座っていたばあさんに「すみません」と言って俺の窓側席へ入ろうとした。しかしばあさんは立ち上がって俺を通そうとはしないし、露骨に嫌な顔を向けて何やらぶつぶつ言いながら動かなかった。俺より後から乗ってきた客が俺にせき止められて列になっていく。「すみませんがちょっと通してもらえませんか」と言うとばあさんは何も言わずに自分の膝を跨げというジェスチャーをした。仕方ないので俺はばあさんを跨いだのだが、ばあさんの足元にはいろいろなものが置かれており俺は足を取られてひじ掛けに左ケツから倒れこんだのである。そして、その時、ばあさんは「あーあーっ!」と声を上げ、左ケツのあたりにザワザワっという感触を覚えた。触ってみると去年バーゲンで買ったばかりのイタリアロロピアーナ製生地のスラックスの左ケツ部分が20センチにもにわたり激しく破けていたのである。
ああっ、なんということなのだ!
「あーあーっ!」じゃねえだろうが!
このくそババア!
俺はババアを張り倒したい気分を何とかこらえ、鹿児島まで破けたケツを触り続けていた。ババアは何もなかったかのように眠り続けていた。

東京より5度は暖かい鹿児島・天文館界隈は笑顔を浮かべた人々で賑わっていた。同じ週に行った札幌は昼間でも➖4度だったので20度近くも違うことになる。コンビニでガムテープを買いホテルでケツの応急処置を行った。前回の「じじい狩り」で書いた働かない老人が若者からいじめられる時代になれば、あんな底意地の悪いばあさんはひとたまりもなく社会から排除されるだろう。
地元の会社の社長さんに黒豚料理を奢ってもらい翌日はゴルフをやった。強烈に美味い大量のカツやしゃぶしゃぶを焼酎で胃袋に流し込んだ。札幌では大量のウイスキーを飲み毛ガニを無心に食い続けた。このままでは俺のメタボは進行を続け糖尿病や動脈硬化に向かっていき倒れるだろう。
今年ほどゴルフをやった年はない。55回はラウンドした。そのうち36回は例の毎朝腹筋背筋を100回やりアプローチ練習もやっているアホな昭和漫才師顔ゴルフ狂とである。対戦成績はなんと17勝17敗2分けという結果であった。最終戦津久井湖ゴルフクラブだったが、昭和漫才師顔が終盤17番ホールのガードバンカーから放ったボールがグリーンを遥か超えてOBに消えていき呻き声が響き渡った時、俺は嬉しさのあまり「オービー♫オービー♫」と叫び両手を挙げてカニ走りをしていた。日頃、我々とラウンドする残り二人のお客さんは、そんなスポーツマンシップのかけらもない下品な光景にまず唖然とするが、ラウンドが終わると「実に愉快な対戦を見せていただいた。会話が楽しすぎる。またぜひやりたい。次はうちがご招待したい。」となることが多く、そうなると仕事も前向きに進展していくのである。
その後、俺は破けたスラックスを「ママのリフォーム」に出したが、修理代は6千円だった。ちくしょうっ。

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年が明けた。
12月24日に「ママのリフォーム」に出したスラックスは1月1日の引き取りだった。「ママのリフォーム」は元旦から営業しているのである。

なっ!なんという出来栄えなのだろうか!!20センチもにわたりL字に引きちぎれていたのに!
そりゃよく見りゃわかるが、おっさんのズボンの左ケツ内側をよく見る奴はいないはずである。6千円以上の価値があるプロの仕事というものだろう。当然俺は店頭で激しく絶賛した。店の姉さんは嬉しそうに赤くなっていた。
そういえば正月早々から働いている若者に関して俺は3日に至るまで爽やかな気分を味わい続けている。元旦の夜中にネットがつながらなくなった時のイッツコム電話オペレーター青年の要領よく感じがよい受け答え、近所のコンビニ兄ちゃんのはきはきした受け答え・・・、そして3日には小平へお墓参りに出かけたのだが墓地の手前の店で花と線香を買おうとして車を路駐すると、若いおまわり2人が車2台に違反切符を切っていた。俺はバイクの荷台で切符を作っていた奴に「そこで花買うだけなんだけど捕まえねえよな?」というと、メガネで5頭身の33くらいのおまわりは「もちろんです。ご心配かけましてどうもすみません。」と頭を下げていた。
俺も20代のころは正月もないような仕事をしていたが常に荒れていた。深夜の誰もいない会社でコピー機が壊れた時、興奮して絶叫しコピー機の腹を何回も蹴り上げ変形させたことを思い出す。