突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

アロハの心


ワイキキからダイアモンドヘッドを左手に見ながら閑静な住宅地をクルマで10分行くと広大なカハラリゾートホテルに到着する。


1960年代から各国要人・王族やハリウッドスターが訪れてきた高級リゾートは、いまは日本のリゾートトラストの傘下に入っている。ホテルに隣接するのは名門ワイアラエカントリークラブ。1970年代に青木選手が日本人として初めてアメリカ男子ツアーで優勝したハワイアンオープンの舞台である。クラブメンバーである斎藤さんとおっしゃる地元在住の82歳のにこやかで穏やかな紳士とラウンドさせてもらった。俺は舞い上がり腕時計とサンドウエッジをコースに忘れて取りに戻ったりした。

ハワイに来たのは多分4回目だが前回が何年前だったのかはよく思い出せない。しかし、部屋の窓を開けたとたんに全身で浴びることになる、限りなくピュアに明るい幾層もの海と空のブルー、そしてどこか甘い香りがしながら少しだけ冷たさがある風に潮騒やら葉ずれやら遠い街の気配やらが混ざりあうと、もうその場に崩れ落ちるようなハワイ独特の快感に包まれて遠い日の記憶の塊がわき上がる。

ハワイには北からの貿易風が吹いている。独特の爽快感はドライな北風がもたらしているらしい。

俺は前にも書いたが、遺伝子分析の会社に自分のルーツの分析を依頼し、「4万年前に東南アジアで発生しその後ミクロネシアポリネシアを移動しながら南米大陸を経て再び太平洋の島々を移動しながら台湾、沖縄経由で日本にたどり着いた日本先住民」との回答を得ている。俺がハワイで崩れ落ちそうになったり沖縄に年に2回は行ってしまうのはそうした遺伝子と関係しているのだろう。ハワイの人も「あなたの顔はハワイ先住民で通るね」と言っていた。
俺は今回、前にも書いた毎日腹筋背筋を100回ずつやっているアホなゴルフ好きの昭和漫才師顔(よく見るとヤーサン顔ともいえる)の52歳の部下とともに、ハワイの日本語放送局KZOOとの様々な共同事業を確定させるためにホノルルを訪れたのである。(これは本当なんです) 奥さんが日本人のホノルル市長へ挨拶に行ったりもした。しかし、ゴルフをやったりうまいものを食ったりビーチで海豚を見たり真珠湾アリゾナ記念館やイオラニ宮殿を見学したり、なによりカハラリゾートにも泊まらせてもらうので、飛行機代を含めすべて自腹で行ったのである。漫才師顔も渋々同意していたが裏から手を回しているかもしれない。
そして、今回俺が心から感動したハワイはこのお二人なのである。日本語ラジオ放送局KZOOの社長であるデヴィッド・フルヤさんと副社長ロビン・フルヤさんはご夫婦である。

日系三世でもちろん母国語は英語である。到着の空港へクルマで迎えに来てくれてから、仕事以外の観光やゴルフや朝昼晩の食事まで時間刻みですべて付き添い途切れることのないハッピーな笑顔とトーク満載で面倒を見てくれるのである。俺たちは接待を受ける立場ではないし、また、彼らにもそんな気は毛頭なく、とにかく友達がハワイに来たら一日中楽しんでハワイのオハナ(家族)のように付き合おうよ、というのがアロハスピリットというもののようなのである。時々、15歳のかわいい娘さんジャジーが登場したり、その友達の女の子たちも登場した。ビールを飲みながらの夕食にはデヴィッドとロビンの友達夫婦や仕事仲間も参加したりして、そんな時には俺もやや調子にのりひどい英語を使いながら、むかし漫才師顔が仕事から家に帰ると家具がすべてなくなっていた話や、表情が変わらない中国人ゴルファーの恥ずかしさの真似や突っ張った顔で偉そうにラウンドしている韓国人ゴルファーの真似をするなどして大笑をとるのが非常に楽しかった。デビッドはとにかく底抜けに明るく優しい。57歳だが屈託ない笑顔がかわいい。よくビジネスをやっているなぁと思ってしまう。ロビンはとにかく親切で我々の気持ちを常に読んでいて面倒を見ようとしてくれる。デビッドをよい方向に仕向けてバランスをとっているのがよくわかる。
デヴィッドとロビンは、俺たちが楽しむ度に嬉しそうな屈託のない弾ける笑顔となり、さらに面白いことを提案しようとしてくれる。

デビッドは1年で8キロ太ってしまい、「写真写りの二重顎が恥ずかしいよ」と言っていた。俺が「写真に写るときは首を伸ばすといいよ」と言うとすぐ実行していた。
漫才師顔男はゴルフは大好きだが、真珠湾やハワイ王朝の宮殿にはほとんど興味がない。腹筋背筋を鍛えているのに3日めあたりから疲労困憊となりはじめ帰る前夜遅くにクルマの中でデヴィッドに「明日は朝8時からハナウマベイに行くから○○○さんは泳ぎなよ、シュノーケルとかヒレとか借りとくよ」と言われたとき、返事が曖昧だったので俺は「いくんだろ?」というと「もちろんです。楽しみです。」と言いながらも5〜6歳老け込んだように悲しそうだった。しかし、漫才師顔も「本当にいい人たちですよ。こんなにあったかい人はいませんよ」と、俺に教えようとしていた。「お前の説明はいらない」と言うとニヤニヤしていた。

俺はアラモアナセンターにあるKZOOの大きなサテライトスタジオを見学しながらビールを飲んでいたのだが、突然そこで進行中の生放送に出演することになった。DJの女性の挨拶がわりの質問に短く答えた後、何も言うことがなかったので「ハワイの今日の繁栄は皆さん日系人の長年の努力の賜物でありいまはとにかく北のジョンウンがヤバイわけです・・」などと訳のわからんことを言い、「皆さんへのエールです。フランク・シナトラ・・マイウェイ」と言いかけたところで咳き込んで「マイググうえげほっ」で退場となったのだった。その後、デビッドとロビン、DJ、なぜか勝新太郎のマネジャーだった人夫婦と食事をし酒を飲んだが、みんな俺の出演を聴いていたと言っていた。笑い合いながら飲んでいるのにその話になると勝新マネジャー氏は「なかなかいい声ですねえ」などと言いながらも、座が数秒固い雰囲気になったことが辛かった。



今回、腹筋背筋男とのゴルフは1勝1敗だったが、プロ級のデビッドからいいことをいくつか教えてもらった。負けは一打の違いだったが、最終ホールで漫才師がそこまでの俺のスコアを一打多く言わなければ勝っていただろう。ハワイの雄大なコースに来てまでせこく勝とうとした腹筋男に対しては夜の酒席でハワイの皆さんの前で罵倒を行い笑い者の刑を執行したのだった。
(なお、KZOOとの間では年内に儲かる仕事一件、来春から徐々に儲かっていくヒジネス一件を練り上げ確定させたのでした。)