突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

プラハ・ワルシャワへ 5



プラハは犬が多い街である。人口約130万人に対して登録犬数は約9万匹。東京の場合は人口約1370万人に対して登録犬数は52万匹である。人口に対する犬率はプラハ6.9%、東京は3.8%になる。多分こんな計算をしているのは俺くらいだろう。
トラムに乗っても地下鉄に乗っても犬がいる。レストランやカフェにも犬がいる。主人がビールを楽しむテーブルの下にも犬がいる。そして、リードをさせられていない放し飼い状態の犬が多いのだが、一回も悪態をついたり吠えたりするのを見かけなかった。

海外の一人旅で、食事に困るという人も多いようだが俺はあまり困ったことはない。ガイドブック「地球の歩き方」のレストラン紹介で事前に目星をつけておき、1日1回はまともなレストランに行くようにする。「地球の歩き方」は素晴らしい。取材の細かさが他誌とは違う。現地語や英語のメニューなど見るのは面倒なので「地球の歩き方」の現地名物料理写真を店員に見せて「ギブミーディスディッシュ」と言うのが一番スムーズであり店員とも笑いあえる。
到着翌日に、プラハ18年在住の頭の回転が早いソプラノボイスの日本人ガイドさんに街を案内してもらったのだが、現地人に評判が良いまずまずのレストランと聞いた店に行って見た。俺は旅の初日の午前中に現地ツアーを予約して、ガイドさんに本に出ていないことを教えてもらうことにしている。
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これはなかなかうまかった。ビールを2杯飲んでトータル2,000円くらいである。プラハはレストランやカフェの料金が安くてよい。旧市街広場に面していたが店の名前は忘れた。
下は2時間以上も雨宿りをさせてもらった有名店、1881年創業の「カフェ・スラヴィア」。チェコ民主化運動のリーダーで、民主化後の初代大統領となったヴァーツラフ・ハヴェルも通っていたそうだ。
メニュー表紙の絵は、チェコの画家ヴィクトル・オリヴァの「アブサンを飲む男」。老境に差し掛かったしがない男が一人禁断の酒をやりながら夢想に耽る・・・もしかすると俺と同じ席に座っているのではないか。

時刻は20時半から22時半・・カプチーノとミネラルウォーターで通りに面したテーブルを一人で独占し続けちゃ悪いと思い、ウエイターを呼んでメニューを見ながらストロベリーアイスのなんとかかんとか書かれているやつを注文した。スマイルを絶やさないウエイターは「リアリーイートジス?」と言ったが「イエスプリーズ」と答え出てきたのがこれだった。

見た通りの味で美味かったが半分も食えなかった。
店を出て雨の中を歩き出すと、びしょ濡れのカップルが俺とハイタッチをして通り過ぎて行った。

プラハの街は縦横に路面電車トラムが走っていて、3つくらいの路線を覚えれば、あとは歩きで移動に苦労はしない。

新市街からトラムでヴルタヴァ川を渡ってプラハ城へコンサートを聴きに行こうとして、俺は反対方向のトラムに乗ってしまった。反対方向へ20分以上進むとヨーロッパ建築博物館の古都の華やかさは消えて行く。沈んだトーンの共産圏の色合いとなり足立区の団地のような煤けた集合住宅が目立ち始める。中心部を闊歩している多くは西欧からの観光客であり、このトラムの乗客がチェコプラハの人々ということになる。着ているものは地味で質素であり中心部のトラム内とは全く違っていた。
そういえば、前に書いたタクシー運転手が「給料は10万で家賃も10万だ。プラハは狂っている。だから夜と早朝に運転の仕事をしないと食っていけない。」と言っていたのを思い出した。
しかし、ホテルのお姉さんは「再来週日本旅行に行くの。日本は今寒いの? USドルは使えるの? ユーロは?」などと言っていた。このお姉さんは世界地図をきちんと見たことがないのだろう。多分お姉さんは雇われ人ではなくホテルを引き継いだオーナー家なのだろう。「東京ってどんなところ?」とも訊くので「ラージでクレイジー、エクスプレッションはプレイスによりコンプリートリーにディファレントだよ。カオスがチャーム。セーフティーでクリーンだ。」と言うと笑顔なく俺を見ていた。


ワルシャワで見た数少ない笑顔はこの子供達だった。この子たちはナチスドイツもソ連支配の暗黒時代も知らない。そう言えば、2年少し前、母と行った最後の旅行は箱根宮ノ下富士屋ホテルだったが、部屋まで案内してくれたのは研修で来ていた長身のポーランド人の青年だった。真面目で一生懸命な姿勢を見ながら母が「日本はどうか訊いてみて」と言うので訊いてみたが「みなさんとても親切でよい毎日です」みたいな実直なことを言っていた気がする。