突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

得体の知れない東京湾の何か


湾岸道路を横浜を超え磯子を超えていくと終点・幸浦となる。さらに一般道を八景島方面へ15分ほど走り臨海部の工場や倉庫エリアを抜けていくとこのテトラポッドの海岸に至る。
20年以上前、ここでよく釣りをやっていた。俺がやっていたのは海面に出ているテトラポッドのギリギリ先端部まで行き、そこから5m近い長い竿を海へ出して仕掛けを4〜5mの海底まで沈めていく一種の「脈釣り」だった。狙いは「根魚」と呼ばれる海底の岩や海藻が入り組んだところにいるメバルカサゴだった。こいつらはかかると大暴れするので糸が岩やテトラに絡まって引き上げられないことも多いが、合わせて一気に巻き上げて海面から姿を現した時の嬉しさは格別である。

俺はそれほど釣りに凝ったわけではない。釣り船に乗って沖へ出たり、竿を何本も用意して投げ釣りをやったりはしなかった。根魚が活動する日没時に合わせてここにやって来て漆黒の闇に包まれながらたった一人で竿を揺するのが常だった。
静かな東京湾ではあるが、真っ暗な中、テトラポッドの先端部で波をかぶったり、足を滑らせてテトラポッドの穴に落ちて3mは落下したこともあった。波を被りながら真っ暗なたて穴からテトラの凹凸をよじ登って脱出した時の怖さは忘れられない。
それでもなぜか俺はここが好きだった。毎週、吸い寄せられるように通っていた。空き缶リサイクル工場やヘリポートや巨大な冷凍庫群を背にして濁った海面が広がり、生暖かい風が吹き付け遠くかすかに大都市をひとまとめにした音を地響きのように感じ続けるテトラポッドの上。カサゴメバルを狙いながら訳のわからない赤茶色の魚やどじょうみたいなヌルヌルした奴やゴンズイという釣れたら絶対に触ってはいけない毒魚も掛かる。
俺は30代後半に漆黒の夜のテトラポッドでこんなことをしていたのである。
そして俺は突然やめた。
ある夜、いつものように闇に包まれながら真っ黒な海面に仕掛けを沈め竿をゆっくりと動かしながら根魚の感触を待った。竿がブルブルっと揺れた時、「俺がやっていることはなんなのだろう・・こんなに暗黒で危険な所で俺は何に惹かれているのだろう・・深層心理の中でのSEXの代償行為のような感覚…………!」そう思った時、得体の知れない何かに引きずり込まれるような底無しの恐怖が襲ってきた。俺はヤバイものに飲み込まれようとしているのではないか……!釣り道具を全て放り出して俺は車のほうへ走った。とにかくこの場から逃げなければ危ないと思ったのである。
俺は気が狂ったわけではない。東京湾は一見ただの東京湾ではあるが、遥か縄文の太古以来、どれほど膨大な量の人間の悲劇や怨念を沈めてきたことだろう。東京湾に注ぐいくつもの大河流域の惨劇・阿鼻叫喚も含めて…。
あの時から俺は一回も釣りをしていない。


ところで、3年ほど前に「けつ」の手術の顛末を書き好評をいただいた。そして     なんと再発したのである!!
「再発」を近しい人間に告げると、命に関わるものではないこともあってか多くは笑顔となる。それは俺の人間性も関係しているのだろうが、なぜか悪い気はしない。
11月にまたけつを丸出しにして看護婦がみんな眉間にしわを寄せる、地獄のような手術をやる。だからいま俺の想像力はダークサイドに向かいがちなのである。