突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

台北の地下鉄で人生初めて席を譲られる


台北超高層ビルTAIPEI101」89階からの夕景である。



俺は今年受けたDNA検査で「4万年前に東南アジアで発生しその後ポリネシアミクロネシアを経て台湾、沖縄経由で日本列島にたどり着いた末裔の血が濃い」という結果であったこともあり、4日間台北を彷徨ってみたのである。

8年ぶりの台湾だったが、急速に発展しているエリアと以前と変わらない混沌エリアを見続けて歩き回り、くたくたになって地下鉄に乗って座ろうとした時、その席には「博愛」と書かれていた。当然座るのはやめてつり革につかまった時に肩を遠慮がちに叩かれたのである。振り返ると実直そうで恥ずかしそうな表情を浮かべた20代の若い女性が俺に席を譲ると言うのである。
俺は小さくパニックに陥った。なんでなんや!! 俺はまだ58であり、日頃は40代に見えるとまで言われている俺がなんでなんや!!
しかし俺は「シェシェ」と言って座った。次の駅で彼女が降りる時、でかい声で「シェシェー!」と言って手を振った。
多分、「でかいショルダーバッグを下げて首からカメラを吊るしている台湾好きに違いない疲れた日本人だから国際親善の精神を発揮しよう」と思ってくれたのだろう、と思いたい。しかし、俺は同じスタイルで街を歩きながら台湾のおばさんに2回道を尋ねられている。
さらに、台北一の夜市である「士林夜市」に出かけて暗い夜道で道に迷った時にも20代のメガネをかけた賢そうな女性に声をかけて道順を聞いたが、彼女は「アイルショウユー」と言って一緒に連れて行ってくれるという。俺は30mほど並んで歩いて「アイルアンダスタンドザウェイ.サンキューベリーマッチリアリー.」と言って遠慮した。
こんな薄暗い路地裏で声をかける男を全く警戒せずに連れて行くという親切さに俺は驚愕した。警戒の対象とはみなされない安心感が俺にあることは間違いないのだろう。しかし、それはそれで喜んでいる場合なのかどうか、ややモヤモヤするのである。
それにしても、このような親切は北京や上海では決して起こらない。台湾は4回目だがホテルでも飲食店でも空港でも不愉快なことを経験したことがない。

こいつは2日目に雇ったドライバーで林(りん)君31歳である。東京のサングラスを輸入販売する会社に就職し3年過ごした後、台北支部に異動となり休日は自分のMITSUBISHI車でドライバーのバイトをやっている。「なんでそんなに働くんだ?」ときくと「もっとよい生活がしたいからです…台北近郊はマンションが高騰していて東京よりも高いくらいです。東京近郊で5000万円位のものが台北では8000万はします。…結婚していて子供もいますが今はお父さんお母さんと暮らしています。」
「嫁姑で大変だろ?」と言うと「本当に辛いです。」と言っていた。
俺は台北から片道1時間の人気観光地「九份」(きゅうふん)への行き帰り林君と話し続けた。「将来は東京で暮らしたいです。日本人は台湾人には優しいです。やはり東京は暮らしの質や人の性質が全てに渡って高いです。給料も台北の3倍です。」…「仕事をしていて中国人は私たちドライバーとは交わりません。韓国人はドライバーに威張ります。」と言っていた。
「中国と台湾は全く別の国、という認識が当たり前なの?」と言うと「別の国に決まってるじゃないですか。」と、やや不服そうだった。20世紀の歴史に詳しかったがそれ以前はあまり知らないようだったので (俺も「地球の歩き方」で読んだばかりだったが) 「台湾に清国から漢民族がやってきたのは17世紀だった。オランダとスペインも来ていたがいなくなった。先住民族と漢族はほとんど同化はしなかったらしい。」と教えてやった。「へぇー漢民族もそんな昔からいたんですか」と言い、自らは漢民族とは関係ないと思っているようであった。


かつて日本統治時代に金鉱で栄えた集落「九份」は長年衰退していたが、台湾映画「非情城市」の舞台となり「千と千尋の神隠し」のモチーフという噂によって今は大人気スポットである。歩き疲れて一休みしようにも店は若者が列を作っていた。その中で一軒だけ誰も客がいない店があった。

このおばちゃんが自分の店に手招きしてくれた。おばちゃんによるとほとんど夕方は毎日雨なので10日に1回しか観られないという九份の日没をテラス席を独占して眺め続けたのである。