突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

また銚子に辿り着けず潮来に行く

連休中日に、1月に続いて、行ったことがない銚子という所に向けて再び車を走らせたがまた辿り着くことができなかった。10時に出発したのだが湾岸道の大渋滞に捕まってしまった。
俺は日本中、多くの所に出かけてきて滞在したことがない都道府県は徳島県だけなのだが、もう一つ、同じ関東に生まれ育ちながら茨城の南東部、千葉の北東部…、つまり成田あたりから利根川を挟んで霞ヶ浦に至るエリアには行ったことがないのである。そして、そのエリアの東端に位置する犬吠崎・銚子というところに行ってみたいという願望をうっすらとずっと持ち続けているのである。
グラナダトルファンには行ったことがあるが銚子には行ったことがない。銚子に行けばきっと呆然と立ちつくすことができるような光景・景観に出会えるはずであり、こうした勘はまず外れない。
しかしまた行けなかった。途中で引き返そうかとも思ったが、高速の標識に「潮来」という地名を発見した時、橋幸夫の古い演歌「潮来の伊太郎ちょっと見なれば〜🎵 薄情そうな渡り鳥〜🎵・・・」がなぜか頭の中をリフレインし、もう少し走らせて水郷の里、潮来に寄って見ることにしたのである。

予想はしていたが、陽光降り注ぐ3月の3連休の潮来に観光客の姿は皆無であった。名物である絣モンペの女船頭さんによる観光遊覧船にも客の姿を見ることはできなかった。さすがの中国人も潮来には来ないようである。菖蒲が咲き乱れる5月が一番良い時期らしいが賑わうのだろうか。
観光物産センターみたいなところを見つけたので入ってみたが、入っただけで店番のおばさん二人はびっくりした顔を向けた。休日でも滅多に客は来ないのだろう。店に並べられた、売る気があるのだろうかとも思える不味そうな土産菓子はたぶん半年以上はそこにあるに違いない。

観光パンフに「潮来のランドマーク」と書かれていた潮来富士屋ホテルに人影はなくいまにも朽ちかけようとしていた。金がないので内外装や設備のリニューアルなど出来るはずもなく、公的な援助がなければ廃墟となるのも時間の問題だろう。

うなぎ、天ぷら…とのぼりが立てられた店に入ってみた。70代の田舎丸出しの婆さん二人と爺さん一人の先客三人が俺をじろじろ見ていた。潮来というところは、一応観光地でありながら、よそ者が珍しいのかもしれない。
俺はせっかく来たのだから一つくらいは贅沢をしようと思いうな重3000円を注文した。霞ヶ浦にも近く、川魚漁の盛んな土地で一番安いうな重肝吸付きが3000円なのだから当然 地場のうなぎと思いきや、40代後半の女店員に聞くとあっさり「いいえ、ここですね」と言って愛知県産うなぎを宣伝するポスターを指さした。「残念ながら…」などとも言わずに俺から離れて調理場に向かいながら背中を向けて指さして答える女店員は、自分の仕事がよほど嫌いなのだろう。うな重を食い始めると、喪服を着た小柄な日焼け顏の爺さんと白髪がパンチパーマになってしまった婆さんと二人の風采が上がらない40代後半の息子の四人組が入店してきて隣のテーブルに座った。会話はパンチ婆さんが仕切っていたが、男三人は1000円の「エビフライ定食」なのに自分だけは俺と同じ「うな重肝吸付き」を注文していた。そして注文の時、パンチ婆さんは「・・肝吸付きよ・・」と念を押したが、女店員はそれには答えなかった。メニューに「うな重肝吸付き」と書いてあるのだから「・・肝吸付きよ・・」と言う必要はないわけであるがパンチは合計3回「肝吸付きよ」を繰り返していた。女店員はその都度無視を貫いていた。
さらに、うな重はぶよぶよで不味かったが、それでも俺はなぜかこの店が嫌いにはならなかった。会計の時、女主人らしき色黒の婆さんはニコニコしていて愛想がよかった。女店員はたぶん嫁なのであり、こんなど田舎で色黒の姑やパンチ頭の婆さんだらけの客に囲まれて、自分もやがて蒲焼の煙を浴びながらそうなっていくことに鬱々とした気分でいるのだろう。それなのに、「肝吸付きよ」を3度もぶつけるパンチ婆さんなどは張り倒したい気分なのだろう。

利根川潮来周辺の河口域に近ずくと何筋かに分かれいくつもの中州を形作る。潮来に一番近い利根川沿いを車で10分北上すると利根川霞ヶ浦となる。
人生は長くない。そしてあまり意味などはなく、大人になれば楽しいことや希望期待も希薄となっていくものなのだろうか。霞ヶ浦は油を流したように静かに、色彩や輪郭を曖昧にしながら茫洋と広がっていた。