突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

小栗監督と大金温泉グランドホテルへ行く

小栗康平監督は映画界の鬼才であり、「泥の河」「伽倻子のために」「死の棘」「眠る男」…などで、カンヌやモスクワやモントリオールベルリン国際映画祭などなど、海外での受賞歴も多い巨匠である。前にも書いたが、昭和30年代はじめの大阪の運河沿いを舞台とした「泥の河」で田村高廣が演じた父親像が、俺には包容力豊かな大人の男のお手本のひとつであり、34年前の新入社員だった頃に観た感動のインパクトは今も鮮烈に刻まれている。
俺は11年前に仕事関係で小栗監督にお目にかかる機会を得た。器の大きな男の圧倒的なオーラと明るく気さくな物腰と男の色気をたたえた表情の数々に感銘を受けたものだった。そして、それから10年が経過した去年の暮れ、ある人を介して小栗監督から俺へのメッセージが伝えられたのである。
「会いたい。飲もう。」
なっ、なんと痺れる言い方なのだろう。
俺はすぐに連絡を取り、仕事の話をした後、監督の娘さんがやっている麹町の小料理屋で酒を酌み交わした。70歳になり、さらにかっこよさが増した監督から10年ぶりの新作映画、日仏合作「FOUJITA」の製作裏話などを聞きながら、時間が経つうち監督は「君は君の世界で革新を起こしているか」「まだまだ覚悟が足りない」「悪ぶるのはやめてまっすぐにやるべきだ」など、腹の底から絞り出された声で俺への意見、助言、人生論を端的な言葉で話し続けた。10年前にも酒場で同じような話を聞いた。俺は、人生や人の世や男と女や生き様や…人間の業や裏表や、一方での美学や…あらゆる洞察を重ねて一級の芸術作品に昇華することに命を懸けている大監督から説教されることが本当にありがたいし嬉しいのである。
その酒の場で、監督が住んでいる栃木県・宇都宮郊外に今度は俺が出向いていき、温泉宿に宿泊して翌日ゴルフをやろう、という話がまとまった。

「大金温泉グランドホテル」は宇都宮から車で東方向へ40分。監督がネットで探して予約してくれたのだが監督も初めて行くと言っていた。新幹線の中で、ネットでのホテルの評判を見たとき、「廃墟」「幽霊」などの言葉が並んでいたのが気がかりではあった。

同行者二人とともに到着しフロントでチェックインをしていると、一足先に着いていた監督がやってきた。「このホテルなんだか怖いよ。こんなにデカいのに今夜の客は俺たちだけだ。風呂に行ってみたが、扉を開けるとき怖かったよ。周囲には何の店もない。飯の後もここで飲むしかない。こんなところ抑えちゃって申し訳ないねぇ。」
70歳の大監督が怖いのだから相当怖いに違いないのである。
天井が高く舟形をした全く無駄にだだっ広いホールは薄暗く、冷気に包まれていた。

飯の前にみんなで風呂に行った。誰もいない露天には怖くて行けなかった。しかし、泉質は独特で悪くない。塩分とカルシウムが強いそうでうっすらと硫黄の匂いも漂っていた。
脱衣場には風呂だけ浸かりに来ている地元の農家の爺さんが三人いた。「いつもはこんなに客がいないっていうわけじゃあないんですよねぇ?」と言うと「いや、いつもほとんどいねえよ。来るのはお盆時期だけだな」と言っていた。
俺が見かけたホテルスタッフは、70歳ぐらいなのに黒いボディコンスーツ(やや表現はふるいが)を着た一生懸命なリーダーのおばさんと、リンゴのようなほっぺたをして安そうな黒のフォーマルを着込んだ34歳くらいの人が良さそうな青年、それからふるい使用人ぽい60代のおっさんと、全てにあまり関わりたくない感じの50代後半の手伝いおばさんの4人だった。ボディコンおばさんとリンゴ青年が何から何まで全てやっている感じで素早く動き回っていた。
北関東の外れの、周囲は休耕地や森林や荒地が広がり、一部には産業廃棄物が叩き捨てられたようなところに忽然と存在する舟形の大型ホテル。静まり返った200室はあると思える巨大空間を音もなく移動するおばさんとリンゴ青年。俺は実に不思議な時空に身を預けたのであった。
昭和43年にできて以来、何も変わっていないこの空間にも、人が溢れていた時代があったのだろう。
客室も昭和43年であるが、エアコンと韓国製テレビは新しく、無名メーカーのウオッシュレットも設置されていた。掃除は行き届き、子供の頃見たような色柄の布団も清潔だった。ツイン部屋を一人で利用して二食ついて7,000円ちょっとである。エアコンやテレビが新しいのだから潰さずにまだまだやる気なのだろう。

監獄のように殺風景な個室で夕飯を食い、焼酎を飲んだ。一泊7,000円なのにズワイガニが1匹ついていた。しかし、刺身のまぐろはどす黒くなっていた。監督は我々が次々に繰り出すくだらない話に笑っていた。監督は我々の日常を超えた大物としての体験談などは一切しないし、質問しなければご自身の事を語らない。食事や酒の面倒は例のおばさんが見てくれていたが、監督の呼び方でおばさんの様子がみるみる変わって行くのを俺は目撃した。
「ママ〜」という呼び方・・・。
それまではテキパキしていて感じが良いホテルスタッフ、その後は個人として心を開き一時若返ってしまった一人の女性。
監督はおばさんに「歌でも歌おうよ」と誘い、おばさんは仕事がたくさん残っているからと、はじめは迷っていたが、結局は監督と2曲デュエットし独唱もしていた。監督が「スタイルがいいよねぇ」と言うと「若い頃はもっと良かったんですよ。もっとぽっちゃりしていたし。」などと言い、俺と同行者を驚愕させた。何十年もの間、ど田舎の温泉ホテルで形成されてきたおばさんを組成する成分の一部が振動し弾けたのだろう。このとき、おばさんは相手が大映画監督であることをまだ知らない。
上写真のシルエットが70歳に見えるだろうか。映画監督の魔術を見た気がした。

凍てつく翌朝に、荒地に浮かぶ朽ちかけた客船のようなホテルを出て、監督のダイムラーでゴルフ場へ向かった。見送りに出てきたボディコンおばさんは一夜で小栗監督について調べ尽くしていた。俺は「また来たいって言ってたよ」と嘘をついた。