突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

1時間半で行く本物のど田舎

2年前の2月に、大雪の房総・養老渓谷近くで、今は亡き母と、娘を載せた車が動かなくなったときに、たくさんの地元の人たちに助けられた経験から俺は房総半島に愛着を持つようになった。ヒマな正月3日に思い立って銚子という行ったことがない漁港で海鮮丼でも食おうかと思ったが、ナビタイムで3時間近くかかるとのことだったので1時間50分の館山へ向かったのである。

残念ながら房総半島の衰退ぶりは著しい。いや、昔から栄えることはなくいっそうの沈下が止まらない、という言い方が正しい。南端の館山に差し掛かると写真のような寂しげな椰子の並木道となる。さらに海沿いを進むと昭和40年代後半からできていったイタリア語の気恥ずかしいネーミングや中途半端な南欧風が目立つリゾートホテル群が時間が止まったようにひっそりと潮風にさらされている。客室の窓越しに全く客の気配を感じることができないホテルもあった。

90年代後半にアクアラインができるまでは館山は東京から車で日帰りできるようなところではなかった。アクアラインで房総半島の期待は膨らんだのだろうが、結果は残酷である。房総の観光地はどこも日帰り圏となり宿泊施設の大打撃はもちろん、まとまった金を落とさない所と化したのである。房総側の入口である木更津市の衰退は特にひどく、高速道で素通りする街となり、また地元の人は近くなった東京や横浜で買い物したり遊んだりするようになってしまった。木更津ではデパートも潰れたそうである。
房総半島はなぜ発展しないのだろうか。俺は半島中部のゴルフ場によく行くが、道中は、これほどのど田舎があるだろうか、というような丘陵・森林地帯に里山が点在する同じような風景の連続である。人が捨てられていても永久に発見されないだろうと思える景色が続くのである。
箱根や熱海だって伊豆だって東京から日帰り圏だが、みんな喜んで高い金を払い宿泊する。一方、養老渓谷温泉や館山温泉に行ってきたという話は聞いたことがない。東京からの近場観光でみんなの目は西に向き東の房総のことは考えない。東京から箱根伊豆方面へ向かうと、「さあ、景色と空気の良いところで露天風呂に浸かって美味いものでも食おう」という晴れ晴れとした気分。一方、房総方面に向かうと、どこか逆方向へ進んでいるような、えらいところへ向かってしまって大丈夫だろうか、という気分。…なぜなのだろうか。

味わい深いお店である。
俺は最近、「逆方向」感覚はまだあるものの「大丈夫だろうか」がなくなり、房総の寂れてすすけた街並みや、ど田舎の里山群や、素朴で献身的な人情が気に入り出している。伊豆・箱根のような温泉街の文化やミュージアムや史跡には乏しいが、房総には独特の癒しがある。街道筋に点在する道の駅できのこや野菜を買うのも楽しいし、小さなカウンターだけの蕎麦屋に入ればかき揚げ蕎麦とおにぎりが500円で食えて、おばちゃんが、「風が強いね」とか「穏やかなお正月だね」とか次々に語りかけてもくれる。「わりと旨いよ」などと言えば心から喜んだりもする。要するに房総独特の癒しは、なんとか金をつかわせようとか、観光客を引っ張り込みたいとか、オシャレだろうとか、高級で格式高いだろうとか・・・商売人や大資本のうるささや戦術っぽい匂いがないところにあるのだと思う。
俺が夢描く、和風、洋風、イスラム風、中国風・・・の小さなエリアが集まった庭を自分の手で作るのに、房総のど田舎はわりと地価も安いだろうから向いているのかもしれない。