突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

雪の金沢に想うこと


12月14日の週に二回北陸に行った。快晴の東京から北陸新幹線に3時間少し乗ると、鉛色の雲が垂れ込める金沢である。地元の人は「これから3月の声を聞くまではずっとこんな天気が続くんですよ。」と言っていた。言うまでもなく東京の冬の快晴は、日本海側の降雪・曇天のお陰である。金沢の年間降雨日数は187日で東京は109日である。雲ひとつない快晴日数は金沢は12日で東京は29日である。金沢では「弁当忘れても傘忘れるな」という言い方があるのだと聞いた。
俺の親父は昭和初期に、信州・上田の家を中学卒業の後に飛び出して上京し、職を16も替えたのだと言っていた。親父の親父と親父の弟は大学を出ているので、親父はよっぽど田舎のしがらみと学校が嫌いだったのだろう。上田は日本海側ではないが、それでも東京の晴天の明るさが憧れだったと言っていた。
金沢は雨や雪が多く晴が少ない。しかし、九谷焼加賀友禅や漆塗りや金箔工芸…などなど彩り鮮やかな伝統文化を育んだ。話は飛躍するが、世界四大文明だってエジプトやメソポタミア黄河インダス川流域というように気候や土地に恵まれた場所で発祥したわけではない。人間はある程度厳しい環境の中でこそ思索し工夫し創造して進歩していくのだろう。いま、世の中全体を見渡すと、もちろん俺もそうであるが、物事を深く考える時間を持たなくなっているような気がする。Amazonをはじめネット通販の巨大ショッピングモールみたいなところに一日中いてキョロキョロしていて自分と向き合うことなく日がな暮れていく。浅い喜怒哀楽に踊らされ、悩んだり試行錯誤したり実体験を積み重ねたりしないので成長せず薄っぺらな根性のまま生きていく。ネットを核とした情報革命時代に人間の重要な能力が劣化を始めていることは間違いない。だから、一部の例外を除き、ろくな音楽もろくな映画もろくな小説も生まれない。
亡くなった母がよく言っていた。深みのある男であることが大事。最近は深くて雰囲気豊かな男の中の男を見かけない時代になった、と。

金沢・近江町市場は地元の松葉ガニや加能ガニ(石川産ずわいのこと)の最盛期を迎えていた。どちらも食うところがちょっとの中位のもので1匹5,000円から6,000円。ややでかいやつは10,000円を優に超える。果てしなく並べられていたが誰も買ってはいなかった。タクシーのおっさんに「あんな値段で誰が買うの?」と訊くと「さあねぇ。高いんでビックリ、食ったら食ったでまたビックリだよ。」と言っていた。どうやら、値段ほどに美味いことはない、と言っているようだった。地方のタクシーは東京のようにバカ丁寧な応対ではなく、ぶっきらぼうながら本音を言い合えるのがよい時もある。