突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

年末になると沖縄に来る


那覇から車で58号線を北に1時間。北谷町美浜に広大なアメリカンテイストのアミューズメントパークがある。あらゆる種類のレストラン、バー、ショップ、ライブハウス、映画館、観覧車・・さらに、人工のサンセットビーチまで用意された巨大リゾートである。
12月の沖縄は最高気温20〜23度くらい。東京の10月半ばの爽やかさである。


ガウディの館みたいな建物もあり金がかかっている。
本来、俺はこういうところには全く興味がないわけだが、去年の年末に火葬場に隣接する暗闇の中のホテルに泊まり怖い思いをしたので、今回は賑やかなアメリカ村にあるベッセルホテルというところにしたのである。夏と冬、年に二回は沖縄に来たくなる。今年も8月にも来たが、やちむん通り以外は何をしたかほとんど覚えていない。そして、いつも沖縄に来たくて来るのだが、着いてしばらくすると無性に東京に帰りたくなる。箱根や軽井沢ならそうは思わない。この感じは何なのだろうか。しかし、そのお陰で、嫌なことだらけの東京に少しは気分を変えて降り立つことができる・・そんな感じがしないでもない。そんなわけで、明日は12時50分那覇発の予定を10時20分発に何とか換えて帰ることにしたいのである。

日にち変わってここからは空港で書いている。10時20分に変更した。
写真上はホテルの朝食である。そう、写っているのはすべて中国人であり人が集まるところでは日本語を聴くことができなくなってきたのである。いつものように大袈裟にものを言っているのではない。クリスマスイルミネーション煌めくアメリカ村もかつてはやけに陽気でバカそうなアメリカ兵とデブなアメリカ女が目立っていたが今は中国人が中心である。ホテルはレストランばかりではなくロビーにもレンタカーの駐車場にも大浴場にもやつらが溢れている。ここ2~3年の間にやつらの極悪マナーはやや改善されてはいる。列に並ぶようになったしホテルのエレベーターに「すみません」と言ってベビーカーを載せた母親がいたのは驚きだった。しかし、大浴場ではどこも洗わずすぐに浴槽に入ってきて俺をわめきたい気分にさせるし、憎らしいガキをレストランで騒がせるし、何よりどこにいても声がでかく我が物顔で、外国にいるという遠慮や謙虚さがない。さらに、今回ビックリしたのは、ホテルの部屋が工事現場の前で景観が悪く騒音もあったのでフロントに電話して換えてもらおうとしたときである。なんと、電話に出たホテルスタッフも中国人女だったのである。俺は静かに部屋の変更を頼んだのだが、女の日本語力にはやや難があり、普通こういうときに苛立ったりするのは客のほうであるべきところ、女の方が面倒クセー奴とばかりに投げやりとなっていったのである。あーなんということか。俺が大好きな沖縄は客も施設スタッフも中国人に占領されていく。そのうち沖縄は中国がさらっていくのではないか。
今や東京だって旅行、小売り業界、家庭薬やトイレタリーなどは中国人でもっている。マンションの値段が上がり出したのも中国人の仕業だろう。静かに、そして急速に日本全体が中国経済圏に飲み込まれていくのではないか。TPPやインド、オーストラリア、ASEAN諸国などとの関係拡大があってもダメなのではないか。沖縄に来るとそんな悪い予感に包まれる。

品数豊富なあしびなーアウトレットである。夥しい数のおばさんが中国語で喚き合っている。話し合っているというよりは喚きあっているという表現が正しい。アウトレット全体の客の70%が中国人で10%が韓国人、日本人は20%くらいだろう。だから、ここも中国人なしには成り立たない。と言うことは・・・俺がここで安く良質な買い物をできるのも、活気のある那覇の繁華街で旨いものを食えるのも、実は中国人のお陰なのかも・・・いやそんな弱気な考えはやめにしよう。こんな考えが蔓延した時、我々は暗黒体制国家に事実上飲み込まれていくのだろう。
アウトレットの高級ブティック、アルマーニ、ゼニア、ボスなどの主役も当然中国人である。中国人男の平たくツルッとしていてきつね目の直毛には、日本人男以上にこれらは全く似合わない。奴らは試着しチンピラやくざのように見えているのも自覚できずに買い込んでいく。概して店員さんに高圧的な奴らは、店員さんから実は密かな仕返しを受けながら全く似合わないアルマーニのブラックスーツなどを勧められて、いい気になって40万円をむしりとられているのかもしれない。
今回俺は日本人の甲斐性を見せてやろうと思い買わなくてもいい革ブルゾンを買ったりして散財した。居合わせた中国人客に、俺の方も歳を食い過ぎたチンピラみたいであると思われていたのかもしれないが。

今回俺は、また沖縄の穴場スポットを発見した。俺以上に沖縄通の人には穴場でも何でもないのだろうが、30回近く来ていても毎回発見がある沖縄は本当に味わい深い土地である。一つ目は那覇から高速に乗っても2時間近くはかかる中北部の許田にある「やんばる物産センター」。海産物からアグーの加工肉、調味料から泡盛などなど、沖縄の物産が徹底的に集められていて、食堂の沖縄そばがうまい。


「やんばる物産センター」は、また来てみたい道の駅で日本全国1位なのだそうである。決してこ綺麗に管理された施設ではないが、とにかく品揃えが豊富であり、何の細工なしに並べられたその異文化漂う無数の食品群に興味が尽きない。沖縄らしい看板類の表現のゆるさ、いい加減さも実にいい。3つ上の写真にある「おっぱ」とは一体何なのだろう。

沖縄の物産に混じって、なんと昔の「ボンカレー」を発見した。「ボンカレー」は昭和40年代前半に発売され大ヒットした当時は珍しかったレトルトカレーである。この女優・松山容子さんの看板と、大村崑オロナミンC、そして水原弘由美かおる金鳥蚊取りのホーロー看板が昭和40年頃から日本中の街道筋を席巻していったのである。今でも千葉や埼玉の陸の孤島のような首都圏なのに過疎化しているようなエリアで朽ちかけた看板を見かけることがある。松山容子さんは今78歳という。


もう一つの穴場発見は「やちむんの里」である。沖縄中部の読谷村の奥に広がる焼き物工房が集まるのどかなエリアには陽光が降り注ぎ、例の大声が聞こえることはない。

沖縄人と東北北部以北の人たちは縄文人のDNAを引き継いでいる。俺も生物学者福岡伸一氏に、間違いなく縄文人、というお墨付きをもらっている。沖縄の陶器ははっきりと記録があるだけでも600年以上の伝統工芸であり、その荒削りで素朴な味わいがどこか縄文土器に連なるものを感じさせる。俺は、ある工房に並べてあった「訳あり品」をいくつか購入した。訳ありは、色付けが厚すぎたり、やや楕円になってしまったり、という説明を京都から修行に来ているという若い女性職人に聞いた。言われなければわからない程度の訳ありで値段は7割引となる。
沖縄は正直者の島なのである。