突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

温泉と私

9月後半から毎週のように温泉に浸かっているのである。最近やけに疲れを感じるし、肩も首も凝りまくっていて、足が温泉に向かうのである。
金沢から山の方へ車で30分ほど行ったところに犀川温泉がある。旅館はこの「滝亭」一軒しかない。

滝亭は、田んぼや畑が広がり民家が点在する里山風のエリアに一軒だけ堂々と立地している。平日だったので他の客はほとんど見かけることがなく、清潔で広々とした優雅な造りの館内と露天温泉から眺める庭園内の「滝」を満喫することができた。
俺が一人で宿泊していると聞き、金沢から仕事関係の53歳の男が8時前にやって来た。里山の一軒宿で俺が寂しくしているのではないかという気遣いのようであったが、男は俺の夕食に付き合いながら大量の日本酒を飲み、「それじゃあ、俺はそろそろ風呂に行くから…」と言うと「いいっすねぇ!行きましょう行きましょう。」と言ってついてきた。男は、「自分がいかにカネがないか」という話を繰り返していた。男は露天風呂で歓喜の声を上げ続けていた。その後、「街までどうやって帰るんだ?」と聞くと「なんとかなりますから大丈夫、大丈夫…」と言いながら俺の部屋にやって来た。男は午前1時ま
での間にシャンパン1本とワイン3本を飲み、部屋にあった煎餅を食い尽くしていた。「お前、そろそろ帰れよ。」と言うと「あっ!こんな時間なんすね。」と言って帰っていった。男は、女房が飯を作ってくれない話、小遣いをくれない話、無視されている話などをしていた。
翌日、朝飯の時、仲居さんから「昨晩のお友達、玄関の床で寝込んでしまって大変でした。」との報告を聞いた。「それは申し訳なかったね。でもあんな奴、友達じゃないんだよ。」と言ってみたが、憎めない奴ではある。チェックアウトの時、奴の飲み食い分が1万8000円追加されていた。

10月半ばに、山形から車で40分、蔵王温泉に行った。仕事の会合が創業299年の老舗旅館「高見屋」で行われたのである。
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温泉街中に硫黄の匂いが立ち込めている。

蔵王温泉の湯は白濁した濃厚な硫黄泉であり、ゴルフの前に朝風呂に入ったが、昼飯時まで体の芯が温まっていた。これは本当である。

10月終わりに、石川県加賀市の山間にある「山中温泉」で会合があった。

旅館「厨八十八」の泉質は素晴らしかった。多分42度くらいはある俺には熱すぎる湯なのだが、柔らかくサラッとしていて熱さの刺激を感じない。ゆったりと露天の長湯を楽しめるのである。

11月も仕事で2回温泉地へ行く。次は、浜名湖畔の舘山寺温泉である。

そして、俺は地方へ出かけない週末にも温泉に行く。時々28になる娘が同行したりする。

家から車で5分にある「宮前平温泉」は、赤褐色の源泉掛け流しであり、首都圏の温泉では一番人気があるのだそうだ。日本列島はどんなところでも1000〜2000メートル掘れば温泉が出る。掘削技術の進歩で東京周辺にも温泉施設が増えている。宮前平温泉は、運動部系の若者で混み合っているのが難点であるが、和風建築の館内は清潔な温泉旅館のような雰囲気に造られている。湯上り感も温泉そのものであり、最新式マッサージ機に身を任せた後、外に出ると実に爽快である。

さらにである。温泉宿にも宮前平温泉にも行けない普通の夜は、家の風呂にこの「天然温泉 湯の花」を入れて、壁に貼り付けた巨大防水ポスターを眺めるのである。湯上りの感じはほとんど温泉である。

今回も、しょうもない話にお付き合いいただいた。
日本人は温泉好きを自認している。誰もが温泉に出かけると山河の光と匂いと湯けむりに包まれて解放されるし癒される。日本旅館の青畳と大きな古民家のような佇まいに既視感を伴う安らぎを得ることができる。浴衣で街へ出て、お土産を買ったり、伝統工芸を観たり、二次会のカラオケも楽しい。一方、今は健全化が進んではいるが、大きな温泉街には場末の匂いのするバーやクラブがあり、地方都市から流れ着いた倦怠感漂う酒焼け声の年増ホステスがいて、かつてはストリップ小屋がつきものだった。さらに深入りすれば、ヤーさんの影がちらつくきわどい店もあって、そんな店にかぎって掃き溜めに鶴のような伏し目がちの娘がいて、世間知らずのサラリーマンが巻き上げられたりしてしまう。こうした全てが温泉場の磁力なのであり、裏や闇が垣間見えたりしながら無限の人間模様が展開されていく。そんな温泉文化はだいぶ衰退したようであるが、どこかにまだあるのなら俺はぜひとも出かけてみたいのである。