突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

那覇のやちむん通り


夏休みの4日間、沖縄をふらついていた。たぶん26回目の沖縄である。以前俺は、「沖縄本島なら観光ガイドができる」などと書いたと思うが、これは明らかに言い過ぎであった。沖縄は何度やって来ても新たな発見や感慨に満ちている。
那覇の中心、国際通り中央部から歩いて15分くらいのところにある「やちむん通り」を俺は知らなかった。

やちむんとは焼き物のことである。石畳や石垣や赤瓦の屋根の緩やかな坂道には、観光用とは違う本物の異文化が静かに漂っていて、窯元や、やむちん・シーサー・骨董品の販売店が軒を連ねている。夏休みシーズンのピークであり、また例によって態度がでかく行儀が悪い大陸人が大挙押し寄せている沖縄にあって、ここだけは落ち着いた誠実な風が吹き抜けていた。
ところで、大陸人どもは今やレンタカーを使う術まで身につけている。本当に貪欲な奴らである。俺は那覇の裏道の交差点近くに2台連ねて停車して通行の障害を起こしてやがったレンタカー運転手に怒声を浴びせたが、直毛短髪でつるっとした面の細目男と真っ黒なサングラスの下品な女とそのガキはノーリアクションであった。ついに運転していても奴らの悪態に出っくわす段階に入ったのである。
今年、訪日中国人観光客は300万人を超え台湾を抜いて国別の1位になるらしい。しかし、そんな数字で驚いている場合ではない。昨年海外旅行をした中国人はなんと1億2000万人。そして、恐怖を覚える調査データがある。アメリカの大手旅行サイトが行った調査では、中国人の40%が今後行きたい旅行先として日本を挙げ、国別の1位になっているそうなのである。1億人の40%の半分がやって来るとすると、なななんと2000万人がやってくることになるではないか!今の7倍もやって来たら、デパートや量販店はウハウハだろうが、我々は中国人の大声に取り囲まれて小さくなりながら国内旅行をすることになっていくだろう。

話がかなりそれてしまった。
やちむん通りは300年以上の歴史を持つ。琉球王府が全島に散在していた陶工をこの地に集めたのが始まりという。

俺は「清正陶器工場」という店でこのでかくて味わい深いカップを購入した。ザラザラした土の質感と渋い赤と素朴な魚柄。陶工、小橋川清正さんは、沖縄サミットの晩餐会へ陶器を提供した名工なのである。


12000円を8000円に負けてくれたのは名工の奥さんであった。俺は、「ちょっと観させてください」と言って入ったのだが、振り返るとこのカップさんぴん茶が注がれていた。熱くなく温くもない絶妙な
加減でいれられたお茶とカップの感触に俺は痺れたのである。そして奥さんから「なーんかあなた、顔が親戚みたいから3割引いとくよ」と言われ、俺は「はい、もらいます」と答えていたのである。

店の壁にはろくろを回す若者の写真があった。「これ息子さんでしょ。後継がいて幸せだねえ。」と言うと奥さんは嬉しそうだった。そして「母親というのは自分が言いたいことを我慢して、家族親族がうまくやっていくために仕向けていくことだねえ。それから、子供に対して寂しそうな事を言うのはダメ、でも、あまり楽しそうにやっている風を振舞うのもダメ。そうやってみんな仲良くしていくために自分を抑えて振舞っていくのが母親の努めなんさー。」と言っていた。深みのある話である。俺は同じレベルの父親論など一生語れそうもない。

話は変わるが、やちむん通りの後、俺は車で沖縄中部・読谷の大好きな店である「地球雑貨」へ向かった。木彫りの大きなトレーとチークの壁掛けだなを購入したのであるが、その帰り道に怖い思いをした。


突然の豪雨となったのである。それは今まで見たこともない豪雨であり、大通りに向けて沢のようになった山側の路地から大量の水が流れ込んでいた。そして、20キロ以上出すとワイパーが効かなくなって前が見えなくなる恐怖を感じながら低地の交差点に差し掛かると2台の車がボンネットまで水に浸かって動けなくなっていた。開かなくなったドアの中で必死に携帯で話す様子が見えた。おれは、交差点を突っ切ることをためらいながらも深くなっていそうな所を避けて何とか交差点をクリアした。何台もの車が突っ切る踏ん切りがつかずに立ち往生していた。
ホテルの人に聞くと「沖縄でもこんな豪雨はありません」と言っていた。マニラで台風の時に体験した豪雨以上に凄かった。やばい時代になったものである。東シナ海を挟んで広がる大陸国家では今だに石炭を燃やしまくり木を切りすぎての砂漠化が進み海には猛毒物質を垂れ流し続けている。無戸籍者を入れると14億人はいるといわれているこんな巨大国家が西に隣接していることと日本の熱帯化には、地球全体の温暖化進行を超えた関係が
あるように思えてならないのである。