突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

我々はどこから来たのか


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二枚の写真は、スティーヴン・オッペンハイマー著、「人類の足跡10万年全史」(仲村明子訳、草思社、2400円)の一部である。地図は、約17万年前に中央アフリカで発生した現世人類共通の祖先,ホモ・サピエンスが9万年に渡るアフリカ生活の後、ある一団が8万5000年位前に今のエチオピア周辺から紅海を渡り、アラビア半島へ脱出したことを表している。その一団は数十人だったのか、数百人だったのか、数千人だったのか…。その時、彼らの風貌はアジア人でもヨーロッパ人でも今のアフリカ人でもなかった。下写真はアフリカで発見された10万年前の人骨から復元した人類共通の祖先の顔である。ある一団! 。出アフリカは本書によれば氷期が極まっていたその時ただ一回だったのだそうだ。出アフリカを果たした人類はアラビア半島南岸のイエメンを移動し、ホルムズ海峡を渡り、イランからパキスタンにたどり着いた。氷期の海峡は今よりもはるかに狭かったのだ。
つまり、今を生きる我々アジア人,ヨーロッパ人,南北アメリカ先住民、ポリネシア人…、非アフリカ人共通の故郷はアラビア半島南岸~イラン~パキスタンということになる。
地図はその後の移動ルートを表していく。イラン・パキスタンからついに人類の移動は3ルートに分かれていく。一つはイラクやトルコを経て5万年ほど前にヨーロッパにたどり着く。一つはアフガニスタンを経て4万年ほど前に今の中国ウイグル自治区中央アジアにたどり着く。そこからさらに分岐しヨーロッパへ向かうルートとシベリアに向かうルートに分かれていく。人類共通の故郷、イランからの三つ目の分岐はインドを経てタイ、カンボジアあたりを通り中国南岸から4万年ほど前には日本列島へ…。中央アジアからシベリアへ向かった人類はベーリング海峡を渡ってアメリカ先住民になり、その途中で南下した人類は樺太を経て2万年前には日本列島へ…。
俺はこの数年来、どれほどこのような本を読んできただろう。そして、今回のイギリス人科学者、スティーヴン・オッペンハイマーの著述は、ホモ・サピエンスのグレートジャーニーをめぐる様々な断片的知識をすっかり整理してくれた。

ある日突然、ある地域を訪ねてみたいと思うことはないだろうか。俺はここ3年間ほど、その様にしてイスタンブール黒海西安や蘭州、20回近い沖縄訪問(出張だけではない)、トルファンウルムチ稚内から網走…を旅していた。イタリアはそうした感覚で行ったわけではない。いま、行きたくなっているのはタイやカンボジア、それから極東ロシアのハバロフスクである。
偉そうに言うわけであるが、この「ある日突然の感覚」は俺の血を構成する何万年もの混血ルートと無関係ではないような気がしてならない。
貴方が脈絡なく何となく行ってみたい場所はどこだろうか。
ところで、前述で「中国南岸から日本列島へ」と書いたが、がっかりしないでいただきたい。別に我々日本人が今の中国人から派生したなどとは決して言っていない。今の中国人の大多数を占める漢族は、その驚異的な繁殖力としぶとさでここ数千年来、アジア大陸東北部で勢力を拡大したのであり、たとえば、今のタイ人は千年前には中国南東部に暮らしていたし、今の中国新疆で発見された3500年前のミイラは白人女性であった。わずか二千年ほど前まで中国北部で猛威をふるっていた突厥の多くは今のトルコ民族であった。今でも中国南岸地域には漢族とは風貌も気質も異なる数多くの少数民族が暮らしている。
たぶん俺はもうじきタイ・バンコクの水上マーケットあたりで日本人観光客に下手な英語で道を尋ねられることになる。中国人観光客はどこに行ってもてめえらだけで塊となり、好意的に土地の人々と触れ合おうとはしないので東南アジア顏の俺であっても安心なのである。