突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

藤原新也という重み



さっきNHK放射性セシウムの深刻な拡散について特集していた。NHKは時々すごい番組を見せてくれる。群馬や栃木の湖では、ワカサギなどの魚から高い放射線が検出され、東京湾に注ぐ全ての川の河口域にセシウムホットスポットが形成されている。当然、東京湾への汚染も始まっており、最も湾全体が高濃度になるのは2年2ヶ月後、つまり、2014年3月のことで、汚染は2022年まで続くのだそうである。ついに「江戸前」の魚を命がけで食う時代がやって来た。
上の写真は、昨年9月に朝日新聞に載っていた、放射線で変形したと思われる福島県内の花の写真であり、撮影は魂の写真家、藤原新也氏である。下は、藤原氏のフォトドキュメントの代表作の一つ、「全東洋街道 上」であり、俺たちの世代は、1970年代前半から始まった藤原氏チベット漂流、インド漂流、東京漂流...などに強烈な影響を受けたものである。「全東洋街道」は1981年発刊。俺が就職した年だからはっきり覚えている。イスタンブルから始まり、中東、インドを経て、チベットバングラデシュミャンマー、タイを経て高野山で1年以上にわたる放浪は終わる。チェンマイの娼婦宿に滞在しながら撮影された「少女」の挑発的な表情と深い闇、トタン屋根に打ち続ける雨の記述は、「生と死」を巡る根源的な問いかけであり、沢木耕太郎をはじめとする後進が未だ辿り着けない重みが藤原新也なのである。
彼は望遠を被写体に向けない。広角のまま自らが被写体に近づいて行くのだそうだ。俺もこれまで旅先の市場で豚の顔や羊の顔を接写し、直後に眉間にシワを寄せたりもして気分に浸ってきた。一昨年、ウルムチのモスク前でシシババブを焼くオヤジを接写して、20歳位の息子に激怒され、金で解決した時は自分が情けなかった。
藤原新也さんには一度取材を申し込んでお会いした。もう30年近く前のことだ。彼は芝浦の事務所で一人で待っていた。3分のコメントをデンスケ録音するのに3時間かかった。一生懸命考えてくれた。しかし、思っていないことは絶対に言わない人なのだ。だから彼はその後もテレビラジオには出てこない。
最近彼が村上春樹を批判して、話題になったことをネットで知った。原発に近づくこともなく、ヨーロッパの別荘みたいなところで、毎日ジョギングしているような人物は、原発問題を語る資格はない。表現者たるものは、当事者の命がけの日々と心の叫びを見届けることなくものを言ってはいけない、ということのようだ。
藤原さんにはノーベル賞候補であるとか、圧倒的な人気というようなことは関係がない。ダメなものはダメなのである。