突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

荻窪


12月30日の夜、毎年小中学校時代の同級生と先生20人ほどが地元の荻窪に集まる。「忘年会」は高校一年の時から毎年欠かさず行われているので、先日は38回目であった。第一回は1974年であり、シヨウガナイがきが4人集まって始まった。俺は当然その創設メンバーである。しかし、俺たちは所謂不良ではなかった。中学生の時、いやな教師やこずるい同級生に制裁を加えたり、仲間どおしの深いコミュニケーションを求めて酒や煙草をやったりしたが、それなりに勉強や部活に取り組んだし、当時は個性派ぞろいだった人間的な先生たちとは心の会話を求め、先生も全身でそれに応えてくれた。
いい時代だったと思う。高校に入れば居酒屋に出入りするのは当然で、バイトで貯めた金で東海汽船の船底に乗って新島や三宅島に「遠征」したりもした。一方、ただ遊んでいるヤツに人気はなく、ジャズやロックや芝居や現代思想にのめり込む者、スポーツや喧嘩を極めようとする者など、いろいろなヤツのことを思い出す。
時代の空気がそうであったのに加えて、親や教師という大人たちが大きな目で少年少女を見守ってくれる時代であったのだ。中学生だからとか高校生だからとかいう形式論ではなく、「心の正しさ」や「人生経験」という本質において間違っていないかどうかが価値基準であったのだ。...脳みその軽いルール好きどもが支配する今を生きるティーンエイジャーたちは本当にかわいそうだと思う。
写真は荻窪駅近くの路地裏。昭和40年代の匂いが漂う趣深い界隈である。「カッパ」というホルモン焼き店は昭和っぽい献身的明るさが今なおむっつり助兵衛な客に人気の同級生女子がやっている。そして、その手前の木造モルタル2階の四畳半座敷で1974年の「忘年会」は行われた。「サラリーマン大学」という店であったが、38年経って建物はそのまま空き家になっていた。高校一年だった俺たちは夕方から飲み始め、深夜には泥酔状態となり明け方近くまで騒ぎ続けたらしい。そして、2階の窓から嘔吐する者、外に向かって叫ぶ者、部屋で暴れる者などが続出する中、俺が2階窓から「小」に及んだ事を38年経って初めて聞かされた。
このあたりから53歳になった今日まで、なにかつながったストーリーを俺は生きているような気もする。