突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

佐島マリーナ

1960~70年代前半に繁栄し、その後時代に取り残されながらもなんとか持ちこたえ、部分的な改装を繰り返してきたために、どこか新旧アンバランスな内装になってしまったが、50年近くも磨きぬかれてきた木製の調度品が煤けたツヤを放つような店。毛足が短くなってしまったワインレッドの絨毯と金色のシャンデリアなのにラッセンのいるかの絵が飾られてしまったような店。ガキどもが入って来ることができない重たい空気につつまれた店。…横浜や湘南の一部に残された、そんな店が俺は好きなのである。
日曜に佐島マリーナで昼飯を食った。なぜか海を眺めたくなり、当てもなく横横道路の逗子でおりて海岸道路を南下するうち、なぜか佐島マリーナに到着した。多分30年くらい前にも来たと思う。当時は湘南のマリーナといえば葉山マリーナか逗子マリーナであり、佐島はダサいスポットであった。しかし葉山マリーナはその後の中途半端な改装により得体のしれない人種が出入りする隠微な佇まいを失った。逗子マリーナはもともと新興成金が好みそうな屈託のない大型施設であり、だから佐島に向かったのだと思う。
佐島マリーナのレストランは冒頭記述のような施設と比べれば計画的に改装されてきた感もあるが、それでもレトロリスペクティブな趣が濃厚である。客も人件費カットで忙しい正装のウエイター、ウエイトレスもすべて年配者である。俺が「本日のランチ〜牛肉の赤ワイン煮込み」を食おうとすると、やはり60歳くらいで腰の低い正装の女性が近づいてきた。「すみませんが、しばらく生演奏になります。ご辛抱ください。」…申し訳なさそうに言った女性はピアニストである。確かにややうるさかったが、金色に輝いて広がるオーシャンビューと、年配者たちの柔らかな笑い声と、ギリギリで営業しながらも老舗の誇りに支えられた接客マナーと生演奏の中で、俺は何十年もの間に経験したいろいろなことの断片を思い出したりした。なぜ思い出すのかわからない。
なぜピアニストは客の中で俺だけに前もって謝るのか。なぜ自販機に千円札をいれてマイルドセブン3ミリを買うと釣り銭が全て十円玉と五十円玉で出て来るのか…海岸道路から5分ほど路地を入った佐島マリーナには、不思議な別時間が流れている。