突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

被災地へ行く




俺はメディア人なのである。だから、それがどんなにちっぽけな行動であっても、現場に立って現場を感じなければならないのである。金曜の夕方に赤坂で安いレンタカーを借りて東北へ向かい、土曜日一日で一部の被災地に立ってみた。
山形の宿を出て、まず仙台市若林区の海岸沿いの被災地に入った時、その凄惨な光景は想像をはるかに超えていた。災害派遣自衛隊車が行き交う中、俺のような何のパスも持たない者でもどこまでも入って行ける。立入禁止とか通行止とか、そんな交通整理をしている余裕などないのである。
海岸沿いを北上し、塩釜、石巻南三陸町気仙沼を見た。写真は、南三陸町である。町そのものが無くなってしまった。その瞬間まで家族があり、職場があり、学校には先生と生徒がいて、喜怒哀楽が満ちていた。瓦礫の中に混じるランドセルや家族の写真アルバムなどがそれをはっきりと証明していた。今は静まり返った一面の瓦礫の上に風が吹いたり雨が降ったりして、魚の死骸を狙うカモメが時々やって来るだけである。
そんなことが本当にあったのだろうか。延々と続く瓦礫の風景に呆然と立っていても、その驚愕の事実に対する実感がどうしても持てなかった。これは人間が生きていくための一種の自己防衛本能なのかもしれない。

3枚目の写真は東北自動車道福島県内、安積パーキングでの放射線測定機である。福島第一原発から60キロほどの距離にある。だからアメリカ人はいない。数値は東京の10倍、1マイクロシーベルト/時 という異常値を示している。最高値は郡山インター付近で1.52であった。これは年換算13ミリシーベルトとなり、国が避難の基準にしようとしている20ミリシーベルトに迫る値と言える。
いうまでもなくここにもたくさんの人が暮らしている。国と東電は初動の混乱により重大な不幸をこの国にもたらしつつある。そして中央の役人は今もって現地の対策本部に組織的に常駐しない。一私企業である東電の問題を超え、日本の存亡に関わる日本国政府の大問題であることは誰もがわかっている。